2002年度谷和原村手話奉仕員養成講座カリキュラム作成<第27回>2/13(木)講座カリキュラム(案)
<本日のメニュー>
回 | 講座 | 日程 | 内 容 | テキスト |
27 | 21 | 2/13 | 「手話奉仕員として大切にしたいこと」木下 | お休み |
28 | 22 | 2/27 | 修了テスト;読み取り&手話表現 | 文法テスト |
29 | 23 | 3/06 | 修了テストの解説 | 修了式 |
「手話奉仕員として大切にしたいこと」ってなんだろうか?といろいろ考えました。ろう講師の西尾さんは「聴覚障害者の暮らし」というテーマで、生活の様々な場面で聞こえない方達が出会う問題に気付かせてくれました。
聴者講師である僕に話せることって何だろう? これまで20年間の活動を振り返ってもしょうがないし、茨城に来てからの手話通訳士養成や手話通訳者養成の話しじゃあまり身近に感じられないし。 ホントは茨城のろう重複児・者のことを話せるといいんだけど、まだ全然関われてないし…。
で、結局次の3つについてお話ししようと思います。
1.手話をどんな風に学んでいったらいいか
〈1〉木下は、どのように学んできたか?
自分が、どんな風に手話を勉強してきたかを振り返ってみると、3つの時期があったように思います。
1981年に「ひの手話サークル」で手話を学び始めた頃は、とにかく手話を「勉強」しました。手話の本を読んで内容をノートにまとめたり、単語帳作ったり、あるいは、サークルでやっていた「通訳学習」って勉強会で石川芳郎さん(現・全通研副委員長)に教わったり…。受験勉強のようにとにかく無茶苦茶マジメに手話を「勉強」していました。そいでもって、平成6年に発行された「ひの手話サークル20周年記念誌」にはこんな原稿を寄せていました。
『感動する心』と『感動を伝える心』、そして『共に感動できるための手話通訳』が僕をここまで続けて来させてくれた原動力だったのだと思います。
1986年に結婚をして世田谷に引っ越し、「たんぽぽ」で活動を始めてからは、勉強よりもそれを使って「表現」したり「活動」することが中心になっていきました。毎週の例会活動を中心に、様々な行事を企画したり、イベントに参加し、「手話を使ってアピール」をしました。みんなにもっと手話のことを知ってもらいたい、とか一人でも多くの人が手話を学んで欲しい、そう思って「活動」していました。
そんな中で僕は「かたつむり」と、そしてろう重複の仲間やその親たちと出会ったのです。マンガ「どんぐりの家」で山本おさむさんが書かれた「この子よりも一日だけ長生きしたい。この子を残して死ぬわけにはいかないのだ。」との親たちの思いが僕を「かたつむり」応援活動に駆り立てていました。
2000年、茨城に引っ越してからは、一転、手話を「指導」&「通訳」することが中心になりました。人に教えるために手話のことをもう一度じっくり見つめる時間が増えました。また、県の登録手話通訳者として「通訳」するようになった自分の手話を再点検する必要も出てきました。
そんな中から、”もっとちゃんと「手話=ろう者の言葉」を学ばなきゃ”ということを、自分自身の思いと重ねて、皆さんに伝えたいと思います。
「勉強」では手話は身に付かないし、「活動」はあくまでも聴者としての僕自身の活動だったし、結局いま痛切に感じているのは、「指導」すべき『手話』を僕が持っていない、ちっとも明らかにできていないということなのです。
まして『手話』通訳なんておこがましいなぁ〜と思いながら、迷いながら、少しでも『手話』らしきものに近づきたいと考えています。20年経ってこんなことにならないためには、これからの手話学習はどうあったらいいのか?そんな視点で話ができたらいいいなと思っています。
〈2〉「伝える心」と『手話』に対する謙虚さを
2000年度2001年度と茨城県手話通訳士養成講座の総務を担当しました。
その時にベテランといわれる手話通訳者(受講生)の『手話』が、ちっともこちらに届いてこないことに気付いて、「どうしてなんだろう?」と不思議に感じたことがありました。
竹内敏晴さんは、「ことばが劈(ひら)かれるとき」(ちくま文庫)の中で、「話すとは、…(中略)…からだ全体をふりしぼって「他者」へ中身を叩きつけることだ」と書かれています。
僕は、手話で話すということも、顔を中心とした身体全体で表現したものを、相手の目の中へ飛び込ませることではないかと思います。逆に、相手の全存在を目の中に吸い込んでしまうような気持ちで見つめなければ、とうてい手話を読み取ることはできないような気がしているのです。
今年度、手話通訳者「養成」に携わりながら、受講生達の手話が、「何か違うなぁ〜」という思いをどうしても解決できないまま、講座が終わろうとしています。
上手い言葉が見つからないのですが、ろう者に対するニュートラルな姿勢の欠如(1)というのか、ろう者の手話をダイレクトに受け入れようと言う姿勢のなさ(2)というのか、そして自分が表出している手話に対する批判的な眼のなさ(3)みたいな引っかかりを感じてしまうのです。
(1)は、最初から「通訳者然」としているというのか、「私通訳する人、あなた通訳受ける人」みたいなろう者との距離を感じるのです。手話が通じてないのに何故か「私が手話通訳=お世話して上げる人」って顔になっちゃってて、なんか変なんです。
(2)は、ろう者の手話をストレートにそのまま受け入れることが難しいのに、その難しさに気付いていないというか、難しいからものすごく努力が必要なのに、難しさに気付いていないから努力しようとする気が盛り上がらないというのかな。ろう者の手話を受け止めていない。受け止められない。
(3)は、家に鏡ないんか?と嫌みの一つも言いたくなるほど、自己流というのか、「あなたがもし聞こえなかったら、その手話15分見てられる?」と言いたくなるくらい、自分の手話に対する自覚が薄い気がするのです。自分の手話をビデオに撮って、自ら振り返るって経験がほとんどないことがその大きな原因なのかも知れませんが、「その手話15分も20分も読まなきゃいけないろう者の立場になって」もう少し「分かりやすい手話」を心がけてなければならないと思うのです。
いかんいかん谷和原の手話講習会なのにつくばの通訳者養成のことに話がそれてしまった。要するに僕自身を含めて、もっと「手話」に対して謙虚に学ぶ姿勢を身につけなきゃいけなかったと大いに反省しているのです。
あなたが今表現しているそれは本当に「手話」ですか?「手話としてコミュニケーションの役割をちゃんと果たしていますか?」それは音が無くても通じる「言葉」になっていますか? 一人一人が自分を振り返ってみていただきたいのです。
そういった意味では、講師である僕自身、そしてさらにはろう講師である西尾さんも、ちゃんと「手話」を教えていただろうか?という振り返りが必要なんだとも思っています。
〈3〉読めないものは表現できない。
⇒手話は「見る言葉」であることを実感し=ろう者の手話をたくさん見よう・読もう・感じてみよう。
そして、これからの手話学習は、これまで以上に「読むこと」を大切にしていくことになるだろうと考えています。それは単に「手話」を「読む」だけでなく「ろう文化」を「読む」、あるいはあるろう者の人となりを「読む」、そのろう者を取り巻く社会環境を「読む」ことが求められてくると思うのです。「読む」は「深く知る」あるいは「理解する」と言い換えてもいいと思いますが、さらに一歩進めて、「飲み込む」とか「自分の身体の一部に取り込」んでいくような働きかけ(自分に対する)が、不可欠になってくるような気がしています。
ずっと以前、東京の市川恵美子さんに「あなた、読めないものを表せるわけないじゃないのぉ〜」と言われてエラク凹んだことがありますが、「私は表現はまあまあだけど、読み取りは苦手」というのは、ウソっぱちなんですね。それは「聴いたことのない英語を話している」ようなもんです。聞こえない人の手話をまずちゃんと読めることが、手話学習の一歩なんですね。
2年間、奉仕員養成を担当して、もっともっと大量の手話を「見て」「読んで」もらわなければいけなかったと大いに反省しています。 入門・基礎レベルの手話教材が少ないという問題もありますが、ろう者の手話ならなんでも片っ端から見まくるぐらいの覚悟が必要だったのかも知れません。
次に掲げるのは、取りあえず身近に手に入る手話教材ですが、最近はビデオ教材もかなり増えてきましたので、今後の活用(教材研究)が僕自身に求められていると考えています。
メディア 内容 テレビ NHKみんなの手話(教育テレビ(土)7:10am〜7:35am) テレビ NHK手話ニュース(教育テレビ(月)〜(金)13:00〜13:05)
20:45〜21:00
(土)・(日)19:55〜20:00テレビ 週刊手話ニュース(教育テレビ(土)11:45〜12:00) テレビ こども手話ウィークリー(教育テレビ(金)18:50〜19:00) テレビ NHK聴力障害者のみなさんへ(教育テレビ(日)19:40〜19:55)
再放送;翌週(日)7:10〜7:25テレビ 「おはよう茨城」(フジテレビ・8チャンネル(日)6:45〜7:00am) テレビ CS放送(テレビ埼玉・テレビ神奈川)「目で聴くテレビ」
<NPO法人CS障害者放送統一機構>ビデオ 視覚言語「日本手話」を話そう(第1巻〜第5巻)97年12月 ビデオ 「手話教室・入門/基礎」(全通研・全日ろう連) ビデオ 「手話この魅力あることば15」(全通研)鯉渕庸子さん(茨城)収録 ビデオ 映画「音のない世界で」1992年フランス 書籍 紙では理解できないけれども…
「手話の世界」(米内山宏ほか)マガジンサポート2002年6月イベント 茨城県聴覚障害者協会の行事←どうやって情報を得るか?
◆やすらぎ新聞(毎月1日発行・(社)茨城県聴覚障害者協会
年間購読料2000円(郵便振替口座:00370-4-41970)イベント 茨城県手話通訳問題研究会の行事
水戸市住吉町349-1茨城県立聴覚障害者福祉センターやすらぎ内イベント 手話のお芝居や歌
◆日本ろう者劇団
◆デフ・パペットシアター・ひとみ(木下の一番のお薦めです!)
◆きいろぐみ
今度2月23日にも下館で手話通訳者研修の講師として「読み取り通訳のコツ」なんて無茶なタイトルの研修会を担当するのですが、言いたいのはただ一つ、「ろう者から手話を教わろう」ということなのです。
もっと地元のろう者の手話をキチンと見ること(読むのはまだ早い)、じっくり見ること、そのリズムを身体で感じられるようになること、そんな研修会にしたいと思っているのですが、果たして聴者の僕にそんな大それたお手伝いができるかどうか、全く自信がありませんが、この講演が終わったらその具体的準備にかかるつもりです。
手法的には、とにかくスローモーションまで使って何度も繰り返し見ること(1)と、そして「シャドウイング」=ろう者の手話をそのまま再現してみる練習(2)を基礎トレーニングとしたいと思います。
これだけでも、2時間などあっという間だと思います。ろう者の手話のビデオが3分あれば、聴者は2時間かけて繰り返し学習ができるのです。つまり、ろう者に15分話してもらえれば、5回分の学習教材ができます。地域の通訳者研修といえばだいたい月1回が限度でしょうから、2人のろう者の協力を得られれば、1年間の学習を組み立てられると思うのです。要はやる気というか、ろう者から学ぼうという真摯な姿勢を持てるかどうかだけだと思うのです。まずは、ろう者のお話しを少しでも読めるようにならなければ、次の段階には進級できないのだ、くらいの強い気持ちでみんなで学習してみてはどうでしょうか。
また、話しが通訳者研修にそれてしまった。谷和原のみんなに言いたいことは、小菅さんを中心に守谷や水海道のろう者、あるいは取手やつくばのろう者の協力をいただいて、「地域のろう者の手話を残す(ビデオ記録する)」活動をしてみてはどうかということです。
〈4〉取りあえず「音・声なし」でコミュニケーションしてみよう。
これは、さっきの「大量の手話を「見て」「読んで」もらわなければいけなかった」という反省につながるのですが、やっぱり手話の学習から「音を消し去る」必要があるなぁ〜、と改めて感じています。
そして「音のない世界」をもっともっと体験する中から、「ろう文化」への理解の糸口を見つけ、現在の社会の「聞こえないことに対する配慮のなさ」に受講生自身が自ら気付くというプロセスを大切にしなければならないように思います。
最初の頃は、頑張って「声なし」で講座を構成し、「見て理解する学習」に拘ったのですが、聴者である僕にとって、「声なし」で2時間頑張ることはものすごいエネルギーが要ることなのです。まして、受講生にとっては2週間に1回の講座で、忘れてしまうことも多く、「新しいことを覚える」のは非常にシンドイものがありました。
また、全日ろう連のテキストは、基本的に日本語(音声語)で書かれていますから、テキストをベースに学習すると自ずと日本語(音声語)寄りに学習が流れてしまいます。
こうした流れをどっかで断ち切らないと、手話学習の発展は望めないし、指導者としての僕の未来も真っ暗だなぁ〜とつくづく反省しています。D−Proは、手話指導者としてろう者+CODA(コーダ;Children of Deaf Adultsの略、ろうの親のもとで育った聴者)でなければ、指導者としての資格に欠けるという考え方のようですが、一般の成人聴者が「日本手話」をマスターすることの困難さを考えると、余程の英才教育体制が整わない限り、指導者の中心が「ろう者+CODA」になっていくという流れはむしろ歓迎すべきことだと僕は考えています。
ただし、現実の問題として茨城の現状を見ると、いきなりそんな状況を望むことはできないわけですから「便宜的に」僕のような聴者講師が、生き残っていくと思われます。その場合、少なくとも「声なし」で指導することを条件にするとかして、下手な手話でもちゃんと「手話」が尊重される学習環境を作っていかなければならないと思います。
例えば、手話サークルの例会を「声なし」にする試みは全国各地で取り組まれています。たんぽぽでも、「声なし」例会に挑戦したりしました。
それから受講生の中には手話サークルに参加できない人もいます。そんな人でも自分なりの「声と音のない時間」を作って、音がないからこそ手話なんだってことを実感してみて欲しいのです。例えば、いろんな場面で音や声を使わずにコミュニケーションする方法を考えてみるとか、逆に「この場所で、もし自分が聞こえなかったら、どんな風に感じるだろうか?」とか想像を広げてみて欲しいのです。
2.聞こえない人と共に活動しよう
⇒共に行動する中から「ろう」が見えてくる、感じられてくる、分かってくる。
場面 内 容 手話サークル 例会後の暗い中での手話会話 話し合い 記録を取ることの難しさ 説明 資料を見ながらの説明の難しさ 茨城県手話通訳問題研究会 冬の討論集会、夏の集会、茨通研のつどい ろうあ協会のイベント 開演のお知らせ(ブザー) バス旅行 バスの中のコミュニケーション、ガイドさんの声 電車の旅行 対面で座って楽しく旅行 雨の日 カサを持ちながらの手話 食事をする 箸を持ちながらの手話 お風呂に入る お風呂で手話って意外と新鮮 ホテルに泊まる 自動ロックの部屋 飛行機は? 非常設備の案内映画 イベント 野外での聴衆への呼びかけ方法 ろう者体育大会 ラジオ体操、次の競技参加者への呼びかけ(放送) あしながPウォーク 参加者への呼びかけや歩いている人への声かけ 書籍 「どんぐりの家デッサン」 ろう教育の現場で 教育の問題はとても重要なのに、関心が広まらない。
◆茨城県ろう教育懇談会
◆ろう教育の明日を考える連絡協議会
3.ずっと続けよう
僕は、ひの手話サークルで聞こえない方達とお会いして、すっごくかわいがってもらいました。へったくそな手話通訳をニコニコしながらずっと見つめてくださったろう者への思いが僕をここまで連れてきてくれました。
手話なんかもうやめたい!って思ったとき、僕がいつも考えていたのは、「僕はいつでもやめられる、でも聞こえない僕の友だちは一生「ろう」とつき合っていくことになる。僕が彼と友だちでありたいと思うのなら、僕も自分から手話をやめるわけにはいかない。」そんな思いでした。
でも、今改めて「なぜ続けるのだろうか」と考えてみると、なんかちょっと違ってきたかなと感じています。何て言うか、聴者の文化だけでは飽き足らない、どうしてもろうの文化を理解したい、ホントは盲や盲ろうや、精神障害やいろんな人の文化を理解できたらいいけど、取りあえず今は、少なくとも「ろうの文化≒言葉=手話」をもっともっと知りたい、っていう「欲」「夢」「望み」みたいなものが僕を突き動かしているような気がしています。
また、すぐやる気なくなるのかもしれませんが、とにかく「行けるところまで突っ走る」というのが、僕の手話に対する思いですし、みなさんには、「永〜くお付き合いしてください。」とお願いして、この講演を終わりたいと思います。
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