<これは1998年に「声なし例会について」書いた原稿です。火曜日は手話サークルたんぽぽの例会日です。>
今、なぜ声を出さないのか?
1998.5.2
手話サークルたんぽぽ リーダー木下耕一
11月17日土の茶話会以来『声なし例会』について様々な意見が出されています。何人かのメンバーからFAXをもらったり夜遅くに電話をいただいたり、この問題についてみんなの関心がとても高いことに少々驚いています。(僕にとっては嬉しい驚きです)
僕は、あの日、夕食で南さんといろいろ話し合った、というか南さんにその日の自分の態度をいろいろ指摘されて、自分でもあれこれ考えた末、毎週火曜日を僕のサイレント・チューズディ(音のない火曜日)にしようと決めました。
実際やってみると結構しんどかったりしてるし、サークル全体としはマズイなあと思うところもたくさん出ています。
そこでとりあえず僕が今考えていることをまとめてみます。
T.今なぜ手話を学んでいるのかをいつも忘れないように。
『手話で話しがしたくてたんぽぽ来てる』という大原則。このことをぎゅーっと考え詰めていくとやっぱり声ってじゃまなんだよなあ。手話でいっぱい話せる場所=たんぽぽ、というのが僕の手話サークル理想像。僕は聞こえる人だからつい手より先に声が出てしまう。悪くすると(仕事でくたびれてたりするとつい)声だけ出て、その後に手がついていかなかったりする。こんなのって淋しいよね。手が出てこない自分にがっくりくることがしばしばあった。
U.手話を手話としてきちんと伝えられるように。
『その手話ちゃんと伝わってる?』手話サークルにおけるフォローの大原則。僕はこれまでどっちかというとほかの人(特に新しいメンバー)の手話についてフォローする立場でこの原則を考えてた。でも、あの日みそ煮込みうどんをズルズルすすりながら南さんに言われたのは『さっきの司会、あれじゃあ聞こえない人全然わかんないよせめてもう少し手を上げて手話してくれないと・・・』。口パクの健聴者となんら変わりない無意味な手話。ただ手を動かしてるだけって手話。それまでの茶話会の3時間が真っ白けな映像となってぼくの頭の中をよぎった。口パクの司会者が訳のわからない話を手をぶらぶら動かしながらしゃべり続けている3時間。僕はいったいなにをやってきたのだろう?
V.話してる人のことキチンと見つめてる?
『相手の目を見つめて、一生懸命読み取ろう』実際声をなくしてみるとたんぽぽの例会がずいぶん健聴者ペースで進められていること、特に人の話しを全然『見て』いない自分に気がついた。相手の目を見つめて話すことなんて聞こえない人と話しをしようと思ったら基本の基本、常識なのに・・・。人の話しを『聞いて』理解するだけならなにも手話サークルなんていって毎週集まることないじゃない。声を出さないと同時に『聞いて』サークルを運営していくやり方を乗り越えたい、と思った。
音のない世界を体験する、と云うんでもないんだな。それが『手話でコミュニケートする』ことそのものなんだって思う。『聞こえる人と聞こえない人が対等な立場で伝えあう』ことの大切さを感じている。
W.技術の上手・下手、経験のある・なし、古参・新人にかかわらず『伝えあおう』!
『伝えあおう』これが今年の企画班の目標。『声なし』を提案したとき新しく手話を学び始めた人に対するフォローをどうするか、また、手話を知らない聴覚障害者の情報保障をどうするかという意見が出た。もちろん『伝えあおう』ということは、聞こえない人に対するばかりでなく聞こえる人どうしにおいても大切なこと。自分の隣のメンバーに伝わっていないときに助け船を出すことはメンバー一人一人の役割です。
けれども、僕たちはみんな『手話で話しがしたくてたんぽぽ来てる』という大原則を忘れないようにしたい。『聞こえる人と聞こえない人が対等な立場で伝えあう』というのは『聞こえる人だけが分かって聞こえない人はさっぱり分からない』ことをなくしたいってこと。それは、たんぽぽがどこまで聞こえない人のペースで運営できるかってことだと思う。『聞こえない人のペース』って何だろう? それは『見えないものは伝わらない』ってこと。新しくたんぽぽに入ってきた人が、いくら『見えない』声で話しをしてもそれは『聞こえない人にはさっぱり分からない』。身振り・表情豊かに、そしてゆっくりと口をはっきり開けて『見える』話し方をするのがたんぽぽのコトバだということを早く分かってもらおう。
X.聞こえる人も聞こえない人も『分からない!』と言えるたんぽぽに
僕は基本的には、『たんぽぽにもう声はいらない』という思いを持っています。マンガ「君の手がささやいてる」の第2話で会議に参加した武田さんが隣の女性に筆記を頼んだ時「人に頼るぐらいなら参加しないほうがいいんじゃない?メーワク」と書かれるシーンがある。たんぽぽは、いくらでも『人に頼れる』ところにしたい。いつでもどこでも『分からない』と言えるたんぽぽにしたい。新しい人に対するフォローは「いくらでも分からないって言っていいんだから」ということだと思う。「分からない。ナニ?」という手話を覚えたら、もうたんぽぽの一員。これが僕の結論。