「ひの手話サークル20周年記念誌」より

育ての親は『ひの手話サークル』

 ひの手話サークル創立20周年おめでとうございます。
 僕の部屋には今でも15冊の『ひの手話サークル・ノート』が並んでいます。
 いきなりこんな言い方は恥ずかしいのですが、それらは僕にとって"青春の記録"そのものでした。

 大学2年の冬、僕はひの手話サークルに出会いました。僕が在籍したのは81年から88年までの7年間です。その間に僕は大学を留年し、五十嵐さん宅で居候生活をし、就職し、結婚し、子供をもうけました。人生の一番の激動の時間を、日野のみんなと一緒に歩き、いろいろなことを教わることができた、それが今の僕の活動の土台になっています。

 ひの手話サークルは僕に"感動する心"を教えてくれました。中谷さんの手作り結婚式、あの井崎哲也さんも出演してくれた手話公演、聴障協と力を合わせて行政交渉した手話通訳派遣制度、一生懸命勉強しながら務めた手話講習会事務局&講師、田原さんの結婚式の手話通訳 etc…。

 ひの手話サークルが教えてくれたもう一つのことは、"感動を伝える心"です。駆け出しの僕の下手くそな手話通訳をいつもニコニコして見つめ続けてくださった日野市聴覚障害者協会のみなさん。日野の聴障の先輩たちになんとかして分かって欲しい、なんとかして伝えたい、なんとかして感動を共に分かち合いたい、そんな気持ちが僕にこれまで手話を学び続けさせてくれました。

 またこのことを、"感動を伝えなきゃいけないんだ""共に感動できること、それが聴覚障害者に対する権利保障なんだ"というところにまで意識を高めさせてくれたのは五十嵐さんという素晴らしいリーダーでした。

 これからも"感動を伝える手話通訳"を目指して学び、"感動が伝わる手話サークル"になれるよう共に頑張りましょう。

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