手話通訳者になるためのマメ知識09「アドボカシー【advocacy】」

■辞書的な意味としては「主張。弁護。特に,権利擁護の主張。」となっています。(goo辞書より)
■社会福祉用語辞典第2版(ミネルヴァ書房)で「アドボガシー」を引くと
 自己の権利や生活のニーズを表明することが困難な痴呆性高齢者、障害者、子供などに代わり、援助者が、サービス供給主体や行政・制度、社会福祉機関などに対して、柔軟な対応や変革を求めていく一連の行動。代弁、権利擁護などと訳されることもある。

 その機能は、(1)発見、(2)調整、(3)介入、(4)対決、(5)変革が挙げられる。

 アドボカシーは、ケースアドボカシーとクラスアドボカシーに大別される。

 ケースアドボカシーは、個人や家族などを対象としたものであり、クラスアドボカシーは、ケースアドボカシーによって蓄積されたサービスや制度の欠陥に対して、同じニーズを持つ集団、階層、コミュニティのためにその機能を果たすものである。

とあったのですが、先日買った「障害者福祉概説」(Amazon.comのページはこちらには、第7章全部を使って「障害者の権利擁護(アドボカシー)」について書かれていました。

 11月13日に「この7章に書かれている内容をまとめてから、せたつむりにアップしよう」と思っていて、それっきりになってました。なかなか「まとめる」のも難しいので、ポイントになる部分を「抜粋」してみたいと思います。

「障害者福祉概説」第7章 障害者の権利擁護(アドボガシー)

<第1節 権利擁護の必要性とその背景>

1 なぜ権利擁護が必要になったのか

(1)はじめに
「・・・権利擁護という言葉が社会福祉の制度やその改革の中で語られるようになり、全国的に展開されたのは、わずかここ4〜5年の間に過ぎない。」
「・・・それは、戦後50年の間に作られた社会福祉の仕組みの中での障害者が「保護」や「更正」の「対象」としての存在であり、個人の権利制が不明確で発揮しにくいという土壌にあったからである。」
(2)社会的排除の問題
〔1〕社会防衛思想
「・・・しかし、このような無権利状態におかれてきたのはハンセン病元患者らだけではない。・・・そのうちの一つに、障害者の欠格条項の問題があげられる。」
「欠格条項に象徴されるように、法律のなかで、今もなお障害のある人に対する排除の思想が残っていることは否定できない。その背景にあるのは、根強い社会防衛思想である。社会防衛思想は、優生学に基盤をおいた考え方で、障害のある人々を社会から排除し、社会から隔離されたところへ収容させることや優生手術(生殖を不能にする手術)を行い子孫を残さないようにすることによって、健常者といわれる人々の社会を守ろうとする考え方である。」
〔2〕収容保護と施設コンフリクト
「「施設コンフリクト」とは、障害者や高齢者の社会福祉施設建設計画が、近隣の地域住民の反対によって中断・中止される「人権摩擦」と呼ばれる現象である。」
「このように、障害のある人たちは、収容保護という隔離施策と、住民との間に起こる人権摩擦という二重の排除に遭ってきた。」
(3)権利性を伴う枠組みへの転換
〔1〕福祉制度からヒューマンサービスへ
〔2〕対象者から消費者へ
〔3〕パターナリズムから自己決定へ
「・・・これ(パターナリズム)は、「当人にとって良かれと思われることを第三者が本人の意志とは無関係に行うこと」を意味し、日本語では「父権主義的温情主義」と訳される。平たくいうと、「おせっかい」や「大きなお世話」のことである。」
「援助されることによって、選択を周囲に委ね、失敗する可能性が高い選択を阻まれる人たちにとっては、結果的に、失敗経験を積み重ねて成長していく過程を奪われることにつながりかねない。」

2 権利擁護が意味するもの

(1)人権・権利とはなにか
「・・・したがって、「私たちが人として生きるための共通の基盤としての人権」に対して、権利は、「私が私らしく生きるためにある」概念であるといえる。これは、より自己決定のプロセスにおいて意味を持つ、重要な概念なのではないだろうか。」
(2)権利擁護とはなにか
「現状の公的な権利擁護システムに象徴されるように、誰かが本人の権利を擁護するということではなく、あくまでも本人が権利の主体として力を発揮し主張していくことを目指すのであり、本人がその力をもてるよう、側面的に支援していくこと、あるいはそのための環境が整うことが重要なのである。」
「権利擁護の概念を考える際に大切なことは、法律的な「権利」の議論にとどまるものではなく、本人の生活を軸とした自己決定のプロセスを重視すること、「する・しない」を含めた自由を保障することにある。」

<第2節 わが国における権利擁護の取り組みとその経緯> (抜粋省略)

1 取り組みの背景
 (1)権利侵害
 (2)先駆的取り組み
 (3)福祉オンブズマンの登場
2 社会福祉制度の改革と権利擁護システムの現状
 (1)社会福祉の普遍化と制度改革
 (2)制度改革における権利擁護の論点
 (3)成年後見制度と地域福祉権利擁護事業
  〔1〕成年後見制度
  〔2〕地域福祉権利擁護事業
 (4)福祉サービスの苦情解決
社会福祉法第82条では「社会福祉事業の経営者は、常に、その提供する福祉サービスについて、利用者等からの苦情の適切な解決に努めなければならない」ことが規定されている。社会福祉事業者には、利用者の苦情解決が義務づけられたのである。だが、これは単に苦情を解決するだけではなく、福祉サービスの質を向上させていこうという目的がある
福祉サービスの現場においては、利用者と提供者という閉塞的な関係性の中でサービスが提供されていることが少なくない。そこに利用者の要望や苦情があっても、それを主張していくことは相当の勇気がいる。その要因には、利用者の生活をコントロールしうる提供者側の権威性や、それに伴って発生する利用者の遠慮・諦観などが考えられるこの、利用者が苦情を言い出しにくい立場や環境にある事情を考慮し、福祉サービスにおける苦情解決の社会性や客観性を確保することが、運営適正化委員会も含めた苦情解決の仕組みに期待されているのである。

<第3節 アドボガシーの実際と今後の課題> (抜粋省略)

1 アドボガシーの種類
なお、「権利擁護」という言葉が、今日では公的な権利擁護システム(制度)を示すものとして使われる向きが強いため、ここでは区別する意味で「アドボガシー」の用語を用いるものである。
 (1)主体からみたアドボガシー
  〔1〕セルフアドボガシー
セルフアドボガシーとは、狭義には本人が自分自身のために主張を行い、行動を起こし活動することであるが、単独で行動を行うものだけでなく、同じ問題を持つ人たちの集団の中におけるアドボガシー、すなわち、当事者同士が互いに自分以外の他人のために主張や行動をすることも含めて広義に捉えることが多い。
  〔2〕シチズンアドボガシー(市民アドボガシー)
シチズンアドボガシーとは、市民が他者(障害のある人など)の権利を護る活動のことである。基本的に無報酬の形で参加するボランティアや市民活動などとされている。
  〔3〕リーガルアドボガシーまたはプロフェッショナルアドボガシー
この類型には、二つの分類の仕方がある。
一つは、弁護士や司法書士など、法律の専門家を中心としてなされるもので、
法律の中で保障されている権利を調停や裁判などにおいて本人を代理する、いわゆる法的なアドボガシーとして分類する仕方である。
もう一つは、プロフェッショナルアドボガシー(専門家によるアドボガシー)とした上で、その中に
法的なアドボガシーソーシャルワーカーなどによるアドボガシーの両方を含める考え方である。
  〔4〕その他
 (2)機能から見たアドボガシー
  〔1〕ケースアドボガシー
ケースアドボガシーは、個々人のアドボガシーを目的としたものであり、本人とその権利や社会資源の調整に着目したものである。
  〔2〕システムアドボガシー
本人を取り巻くサービスの供給体や、行政、制度、社会福祉機関などのシステムに対して柔軟な対応や変革を求める活動である。
2 ソーシャルワークにおけるアドボガシーの展開
 (1)ソーシャルワークにおけるアドボガシーの位置
現在、障害者福祉分野のアドボガシーにおいては、本人が本人らしくあるために、徹底的に本人の立場に立っているかどうかという点が問われはじめている
このことは、障害者福祉に関わる援助職にとっての枠組みの転換が必要となることを示していると考えられる。
 (2)ソーシャルワークの過程におけるアドボガシーの視点
  〔1〕エンゲージメントの局面
  〔2〕アセスメントの局面
  〔3〕計画策定とインターベンション(介入)の局面
  〔4〕評価と終結の局面
 (3)障害者のアドボガシーを巡る今後の課題
  〔1〕支援費制度におけるアドボガシーの課題
  〔2〕排除のない社会づくりに向けて

後半、ちょっと抜粋が減ってますが、実は「う〜ん、そうかなぁ〜?」と思う部分があるからなんです。

それは、アドボガシー=自己決定=支援費制度=自己責任みたいなロジックにはまってはイカンなと感じたからです。この本(「障害者福祉概説」)の解説自体は「そうじゃない」という視点で書かれているのですが、抜粋しては言葉足らずになってしまう気がしたのであえて省略しました。

最後の「〔2〕排除のない社会づくりに向けて」のところで

制度改革という転換期を迎える今、障害者福祉においては、権利への求心力経済的効率という遠心力の中で揺れ動き、試行錯誤している。

と、書かれていました。長引く経済の低迷は、「より一層の経済効率」で生き残ることを要請しているように感じます。

でも、いったい誰に対して、誰が「生き残る」のでしょうか?

それは、戦後復興を勝ち抜き「経済大国」となった日本が、「経済大国」として生き残るための「経済効率」だと思います。

企業業績の低迷に伴って税収が落ち込み、福祉予算がどんどん切り詰められています。限られたパイの分捕り合戦みたいな予算獲得運動が国でも地方でも繰り広げられています。

自分自身の権利を主張するために本当に必要な福祉施策は何なのか?を改めて考えていかなければならないように感じています。

これからは福祉も「自己責任」でやってくれ、という結論が先にあって、それを聞こえの良い言葉で覆い隠すための「自己決定・自己選択」があって、それをさらに「アドボガシー」という聞き慣れないカタカナ用語で飾ってしまうというようなことがないようにしたいなと考えています。

(う〜ん、なんか自分でもこの問題を十分に詰め切れてないです。言いたいことが上手くまとめられない…。というか、どう判断したらいいのかまだ分からないって感じです。)

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