木のつぶやき
1999年9月5日(日)晴れ(隣の世田谷工業高校グランドが野球の応援?でウルサイ)

 手話で話し合うということ

 昨夜、かたつむりで今度の文化大交流会の準備のための話し合いがあった。
 6時から9時までは、隣の地区集会室を借りての正式な会議で、かたつむり職員の鈴ケ嶺さんが手話通訳をした。会議には2人の聴覚障害者が参加している。
 こういう時に「聴覚障害者が参加している」なんてチェックするような言い方になってしまうこと自体、僕は何かしっくりこないものが心の底にドロッと涌き出てくるよう気がするのだが・・・。

 かたつむりのボラたち、なんていう「他人事」のような言い方もイヤだな。
 かたつむりの運動会を10年にわたって支え続けてきた面々、これもカタイね。
 要するに昨夜集まったメンバーは、手話で「話し合う」って、ことについては、少々心もとない。
 何か「俺は自分の意見、手話で言えちゃうもんねェ」って威張っているようで、引っかかるのだが、会議中は、実際、鈴ケ嶺さんの手話通訳がないと会議が成り立たない。
 「じゃあ、オマエの意見は、その手話でチャンと聴覚障害のメンバーに伝わったって言い切れるのかよ?」っていうと、これも心もとないのだけれど、少なくとも自分の手話で発言する努力はしたい、と思っている。

 会議の後、まだ詰め切れなかったことが何点か残ったので、かたつむりの作業所に戻って「さらに1時間ほど」話し合った。
 この時、鈴ケ嶺さんに電話がかかってきて(かけたのかな?)、それが長引いて(結局30分以上話していた)、「無政府状態」じゃない、「無手話通訳状態」が長時間にわたって発生した。
 しかも座席は2つのテーブルに分かれて、みんながチグハグな向きに座っている。
 これで手話ナシで発言したら「そもそも誰が発言しているのか?」さえ分からない最悪の状態になる。(実際、そうなっていた)
 さらに、会議はどんどん「雑談風」になっていき、あっちでボソボソ、こっちでギャグ飛ばして、後ろから突っ込み入れる状態になっていってしまった。それは、「ごく自然な」ことだし、ビールも入っていたから、「和やかな話し合い」の情景だったのだ。

 「ちょっと、そっち回って、手話通訳しようかな?」と私。
 どうしてこういう卑屈な言い方になってしまうんだ俺は、と思いながら「最初から手話通訳やるよ」って言えば良かったんだ、と後悔しながら手話通訳を始めた。
 それまでも「一応」鈴ケ嶺さんの娘さん(エッと名前ナンって言ったっけ?ヒロミちゃん)が、「手話通訳」をしていてくれたけど、彼女は若いし「遠慮がちに」「ところどころ」状態になる。
 正直言って私は「そういうのは許せない!」のだ。怒っているわけじゃないのです。鈴ケ嶺さんが電話に出た時に、すぐに手を挙げなかった自分に腹が立つのだ。

 私は、手話の「勉強」を始めて18年半になる。それは、まさに「勉強」の歴史で、「手話通訳」をめざして「研さん」をしてきたはずだ。それが、こんな些細な通訳場面で「気軽に手を挙げられない」っていうのは、いったい何なんだ?
 聴覚障害の仲間と話し合う、ということは、「一人一人発言する」とか「お互いに顔の見える状態で発言しないと誰が何を言っているのか分からない」とか「そのために座る配置に気遣って、輪になれない時には、一番見やすい場所に手話通訳者が座る」などなど、
 知ってる癖にナゼできない!?

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