木のつぶやき
2004年12月31日(水)晴れ

 2004年を振り返って

<1月>やる気は満々だったのですが…
 2004年は(1)仕事上の法改正を乗り切る(2)一から勉強し直し(3)ダイエットの3つを目標に挙げていました。(1)は2つの法改正作業で大きなチョンボはなかったからまあ及第点。(2)は1月18日から手話通訳士試験の一次対策勉強会を始め、かろうじて7月まで続けたのはまあ50点。(3)は11月に行った人間ドックで唯一「体重が増えています」との指摘を受けたので落第でした。1月はそれなりに張り切ってスタート、とりあえず三日坊主は克服したのですが、2月中旬に早くも息切れていたようです。1月31日~2月1日に山梨県甲府市で開かれた日本手話通訳士協会の一泊研修会に参加して、すっごい元気もらってきたはずだったんだけどなぁ~。
<2月>なんだかドタバタしてきて…
2日「おはよう茨城」手話通訳ビデオ収録」
14日手話通訳士一次試験対策勉強会(第2回「国語」)
22日茨城県聴覚障害者大会(総和町)・手話通訳
25日国立リハビリテーションセンター教官面接試験
 そうそう2月には急遽「国リハ」の手話通訳者養成コースの教官試験を受験したんだった。以前にも1度受けたことがあって今回は結構マジだったのですが、レポートで全日ろう連の「手話コミュニケーション研究」を国リハの発行と勘違いしてたりして散々な結果でした。自分の能力のなさを痛感させられた”事件”でした。22日の県ろう者大会の読み取り通訳でも会長の挨拶を読み取ってて一瞬頭が真っ白になった部分があってショックでした。
<3月>せたつむりの更新止まる
6日養成委員会
21日手話通訳士一次試験対策勉強会(第3回「手話の基礎知識」)
 3月に起きたことは手帳にもほとんど記載がないし、全然記憶にない。4月のスライド改正に向けた準備といっても本格化したのは4月からなので、どうしていたのだろう。精神的に不安定なっていたのかな…。谷和原の手話講習会も3年目は途中でフォローアップ研修のサポートを返上してしまったし、一番サイテーな時期だったのかもしれない。
<4月>スライド改正作業で仕事に追われる
5日「おはよう茨城」手話通訳
18日手話通訳士一次試験対策勉強会(第4回「聴覚障害者に関する基礎知識」)
 4月は仕事に追われてて、手話関係はかろうじて「おは茨」と一次試験対策勉強会をやっただけだった。40才を超えたサラリーマンが仕事以外の活動を続けるのはなかなか難しいなぁ~と実感。これまでできたのが不思議といえば不思議なんですが…。男性手話通訳者が30代を超えて活動を継続するためにはボランティアではダメなんだということを何度も考えるようになった。手話通訳制度がこのままずっと「無料の制度」で良いのだろうかといつも考えるようになった。
<5月>仕事の山は越えたもののまだまだ…
6日「おはよう茨城」サブ
8~9日日本手話通訳士協会総会は、疲れが出て欠席。…残念。
23日手話通訳士一次試験対策勉強会(第5回「手話通訳のあり方」)
 4月からGWまで仕事が忙しかったこともあって一次試験対策勉強会の準備も遅れがち。何とか月1回の手話通訳は引き受けるように努力していたものの日常的な勉強がまるでできてない状況が続いた。
<6月>通訳者養成講座の講義を担当
7日「おはよう茨城」手話通訳ビデオ収録
19日手話通訳者養成講座を見学
26日手話通訳者養成講座講義「手話通訳者として心掛けていること」
29日手話サークルたんぽぽに久しぶりに出席「白川さん講演」
 この月は参加者の都合が合わず一次試験対策勉強会を休んだ。その代わりというのでもないけれど手話通訳者養成講座の講義を依頼され2時間ほど話しをした。原稿を作るのにいろいろ考えるチャンスを得られてとても勉強になった。これで調子が出ると良かったのだが…。
<7月>せたつむりホームページも満5年
5日「おはよう茨城」サブ
11日手話通訳士一次試験対策勉強会(第6回「障害者福祉の基礎知識その2」)
 「木のつぶやき」をプロバイダーのブログに移行させたりあれこれ努力はしたんですが、逆に「手話以外のこと」を書きにくくなったりして上手くいっていません。仕事の方は一段落していたので、この時期に頑張らなければいけなかったんだけど…。どうも加速度がつかないというのか年を取ってパワーがなくなってきたということなのか。何をやってもすぐにしぼんでしまって尻切れトンボに…。7月25日には新生児スクリーニングの講演を聴いて問題意識も高まったのに、その後の勉強がつながらなかった。
<8月>久しぶりに豊田に帰省
5日阿字ヶ浦で海水浴
7日たんぽぽのメンバーと成城学園で会食
20~24日愛知県豊田市の実家へ帰省
22~23日両親を連れて吉良温泉リゾートリンクスへ、料理がとっても美味しかった
28~29日盲ろう者交流会in大洗、28日にお手伝い
 何年ぶりかで帰省。ホントは全通研の名古屋集会に参加しがてら「ついでに帰省」の予定だったのですが、今ひとつ興味のある分科会がなくて参加を見送ってしまった。どうも夏の集会は昔から「行ってみたい場所」でないと参加する気が起きない。行き帰りを片道3500円という激安夜行バスでの強行日程だったけど高校の同級生にも会えて楽しかった。盲ろう者交流会については事前に指点字をマスターしようなんて考えていたんだけど、何もできずに単なる通訳で終わってしまった。しかも読み取りがメロメロでかなりへこんだ。
<9月>10月法改正作業でいっぱいいっぱいの状況
6日「おはよう茨城」手話通訳ビデオ収録
18日県通訳者養成講義・川畑さん「手話通訳者の健康問題」
26日通訳者研修会・土浦会場(読み取り「県ろう者大会・埼玉県ろう協会長坂本氏講演」)
 10月の法改正作業が始まり、仕事が忙しくなった。休日出勤もありほとんど休みらしい休みがなくなって常に仕事のプレッシャーを感じている状態。手話関係の活動はかろうじて最低限のものを引き受けてたけれど、事前の準備も不十分だったし、終わった後は全くフォローができずにやりっぱなしになってしまった。
<10月>仕事だけで終わる
 チャイルドの手話原稿書き以外は手話の活動が全くできなかった。手話サークルに通っていた頃は最低でも週1日は手話関係の活動があったのが、1ヶ月全くゼロというのは自分でも驚きです。今は谷和原村の手話講習会のスタッフも降りてしまったので、こうして仕事が忙しくなるとホント手話から縁が遠くなってしまいます。まあ、普通の40代のサラリーマンなら当然なことっていうか、会社から言わせれば「それくらい働いてくれなくては困る」ってことなんでしょうね。
<11月>ちょっと燃え尽き症候群気味…
10日筑波技短で「遠隔地手話通訳」実験のお手伝い
14日守谷市の福祉まつりで手話通訳
25日手話通訳者研修会・読み取りatやすらぎ
 仕事が一段落して手話通訳依頼をまた受けられるようになりました。手話通訳は情報保障が仕事なのですが、手話通訳を通じたいろいろな方たちとの出会いも素晴らしいものがあります。この月は特に守谷市のお祭りで聞いた古い民謡「とらやのお夏さん」の歌い手のおじいさん(大野灯籠太鼓の会の鈴木健治さん?)に感動しました。通訳が3人体制だったので私も通訳が完全休みの順番の時に民謡に合わせて踊ってしまいました。生で聞く民謡の迫力って、歌と踊りが地域の文化にとってとても重要なものだったことを再認識させてくれます。一体感というのか陶酔感というのか、踊りを通じて頭の中を空っぽにして楽しめました。前から思っていたのですが、頸腕ストレッチに音と歌詞をつけてラジオ体操みたいにできたらいいのになぁ~。
<12月>最後まで勢いが出ないまま終わってしまった
4日手話通訳者養成講座・講義「福祉制度の動向・澤田氏」
17日手話通訳者研修会「表現」教材;鯉渕さんの手話表現ビデオ
 以前は12月もバタバタ手話の活動を入れていたけれど、今は講習会等の担当もないので最後まで勉強する姿勢が盛り上がらないまま終わってしまった。トホホ…。でも、年末にようやく机に向かおうという気持ちが戻ってきてこうして「せたつむり」の原稿を書こうという気になれたのは、ちょっと来年に希望がもてるかも…。

 2004年はとにかく仕事でいっぱいいっぱいだった。僕にとって手話通訳を初め手話関係の活動はあくまでも「余暇」を利用したプライベートなものに過ぎないので、仕事の影響で活動ができなくなってしまうのはやむを得ない。けれども手話通訳制度の担い手がこのような姿勢であることは、もし僕がサービスの受け手の聴覚障害者であったとしたなら「ふざけんなよ」と言いたいところだ。
 手話通訳者個人個人のライフステージによって手話通訳保障の充実度が上がったり下がったりする、そんな不安定な制度で良いはずがない。
 プロフェッショナルな手話通訳者制度の確立=手話通訳の有料化ではないけれども、近年の介護保険制度や支援費制度という福祉制度の流れをみていると、手話通訳制度の「無料化」維持という問題に、僕個人の意見として「大きな不安」を感じる。このままでよいのだろうか?福祉制度全体の中で置き去りにされてしまうのではないだろうか?という思いがしばしば頭をよぎる。
 確かに今の世情はなし崩し的な保守化というのか、自衛隊の海外派遣そして延長を初めとして様々な制度が大政翼賛的なムードの中で大きな議論もないまま認められてしまっている。福祉制度にしても、支援費制度の介護保険制度との一体化議論も要するに「金がないから一緒にしてしまえ」という考えが底流にあるように感じるし、景気が停滞する中で「受益者負担は当然」というようなムードが逆に意図的に作られてきてしまっているようにも思う。
 そうした中で「無料化」を維持し続けてきている手話通訳制度の意義がますます高まってきているとも思う。
 それでも私は、今回の支援費制度と介護保険制度の統合は手話通訳制度の公的な設置派遣を実現する最後のチャンスなのではないだろうかという漠然とした不安を感じるのだ。
 会社が傾いてきて私もいつ仕事がなくなるか分からなくなり、近頃しばしば「ボランティアとしての手話通訳者」である自分を「疑いの目」で見るようになってきた。こんなヤツに茨城に手話通訳を任せて良いのだろうか?自分が食べていくのにいっぱいいっぱいで、勉強もしてなければろう者との日常的な接点もほとんどゼロ。そんなヤツが県下の手話通訳者研修会の「講師」などと偉そうに人前でしゃべっていて良いのだろうか?
 手話通訳制度のプロフェッショナル化は私のような「ボランティア通訳」を駆逐することになるのかもしれないが、それでも最低限の「職業としての手話通訳者制度」を確立する手だてを現実的に考えていかなければならないのではないだろうか。
 その最後の手だてが、支援費制度だと思うし、介護保険制度との一体化なんじゃないかと感じている。(なぜ「最後」なのかと言えば、これから段階の世代のリタイアによるより一層の高齢化を始め日本の経済・景気を巡る情勢はますます厳しくなっていくものと考えるからだ。ますます「福祉に回す金」などなくなってきて、自己責任だの地域の自主自立などという風潮が強まってきて、地域格差は自分の努力不足として切り捨てられ、金のない地方の福祉制度はさらに窮地に追い込まれいくのではないだろうか。)
 日本手話通訳士協会始め手話通訳者集団は2005年も「無料化死守」の方向で引き続き進んでいくのだろうか?
 …でも、そういう偉そうな発言してるアンタみたいなヤツが日常的な手話通訳活動や養成活動をサボってることが一番のガンなんですぅ~!と切り捨てられそうです。

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