木のつぶやき 情けない顔してますが、白澤さんの結婚式での通訳
2003年12月31日(水)

2003年を振り返る

 今年の1月4日に2000年(平成12年)を振り返っていて、結局そのまま2001年(平成13年)と2002年は「振り返って」ないのですが、とりあえず2003年を振り返ってみたいと思います。。
<1月>通訳者養成講座の実践課程の準備でてんてこ舞いでした。
4日
12日
18日

19日
20日
26日
長女が高校受験で4日から冬期講習だった。
水戸でろう教育懇談会の見学(通訳者養成講座の観察実習)でした。
つくばで通訳者養成講座の実習(聞き取り表現)をやった後、2月に下館でやる通訳者研修の事前打合せのために古河市へ回る。
自治会の役員会(僕はくじで総務部長に当たってしまいメチャメチャ大変だった。)
長女の私立高校入試。午後は「おはよう茨城」のテレビ通訳収録。
自治会の次年度の役員さん選出のための説明会
<2月>引き続き通訳者養成講座の実習対応であたふたしてました。
2日
8日
9日
23日
通訳者養成講座の第2回目の実習(サ連懇談会)
通訳者養成講座終了後、茨聴協大会での通訳実習準備のため鹿島市へ
茨聴協大会で通訳者養成講座の第3回目の実習をやらせていただく。
県西の手話通訳者研修を担当。読み取りを中心に楽しく勉強できました。
<3月>自治会の総会準備で明け暮れました。
3日
5日
12日
30日
「おはよう茨城」手話通訳ビデオ収録
長女の県立高校入試。
〃合格発表。なかなか連絡が来なくてマジでビビりましたが、無事合格。
地元「絹の台自治会」の定期総会。1年の任期がやっと終わりました。
<4月>課長がいなくなって、仕事上のプレッシャーが倍増。
1日
3日
26日
人事異動で課長ポストが空席になり、課長補佐の僕はめちゃめちゃシンドクなりました。
宅建の学校に通い始めました。週2回夜の6時50分から9時20分まで。
養成委員会。今年度の士養成を筑波技術短大で実施する方向に。
<5月>3年目の谷和原村手話講習会スタートでドタバタが本格化。
22日

24日

29日
谷和原村手話講習会開講。とりあえずフォローアップ研修会ということで3年目に突入。新たに募集した入門クラスは、地元の通訳者に講師をお任せしました。
士養成講座の準備打合せ。技短と共催するための文書の提出や会場をお借りするための交渉とかで、かなりシンドイ展開になりました。
仕事上の重要な会議が続き、その準備で手一杯になってきました。
<6月>いろいろなことが重なってきてにっちもさっちもいかなくなってきました。
11日
17日

22日
筑波技術短大の会場下見。さすがに聴覚障害者への配慮が整ってました。
宅建の勉強が追いつかなくなってきて、急遽東京本校にも補習通学するようになり週4日くらい勉強してました。仕事と勉強ではちゃめちゃでした。
手話通訳士養成講座の受講試験。今年は7名の受講生となりました。
<7月>散々迷ったあげく姉の墓参りに同行。
1日


6日
13日
20日
なんと人事異動で法改正を担当する部署に移ることに。年金業務本体をやるのは久しぶりでマジで泣きました。とても無理!どんどん人が辞めていて僕のような素人が担当せざるを得ないような状況に追い込まれています。
士養成講座スタート。
お金がきつかったんですが姉の5回忌の墓参りのため母とフランスへ。
ひの手話サークルで大変お世話になった天野カツヨさんが亡くなられました。
<8月>麻子ちゃんと両親の対応で夏休みが終わってしまった。
12日
17日
20日
26日
姪の麻子ちゃんが来日。長女と一緒に愛知へ。東京駅まで見送り。
士仲間の白澤さんが結婚。手話通訳を担当させていただきました。
麻子ちゃんを連れて東京見物。浅草橋〜原宿へ。
両親を南熱海「松風苑」へ招待。熱海の海上花火も見られて良かったです。
<9月>谷和原村手話講習会講師を辞めました。
9日
12日

15日
27日
28日
おはよう茨城手話通訳ビデオ収録。
十分な準備ができなくなってしまったので谷和原村の手話講習会講師を辞めさせてもらうことにしました。
宅建試験直前答練スタート。さっぱり点数が上がらない。
下館で手話通訳者研修会の手伝い
手話通訳士一次試験。何か応援できないかと考えていましたが、結局何もできずに終わってしまいました。とても残念。
<10月>宅建試験。最後の1週間の頑張りは良い経験になりました。
5日
11日

19日
26日
宅建試験全日本答練(全国模試)。合格ラインに届かずかなり凹んだ。
宅建試験もうダメかとも思ったけれど、最後の最後まで頑張ろうとこの日から連日学校の実習室に通って苦手部分の勉強に入る。
宅建試験本番。つくば国際女子短期大学が会場。娘の受験で来た所だった。
急遽、政見放送の手話通訳の補佐を担当。
<11月>士養成講座が修了。
2日
10日
17日
23日
25日
30日
2回休ませてもらった士養成講座に復活。士試験も本番1ヶ月前。
人間ドック。とりあえず体重はクリアしたもののコレステロール値が高いと指摘。
最後の士養成講座。何とかみんな合格して欲しいと念じる。
車のバッテリーが上がり、JAFのお世話に。2年でダメになってる。
おはよう茨城手話通訳ビデオ収録
ひの手話サークル・日野市聴覚障害者協会30周年記念会に参加。
<12月>宅建合格!
3日
6日
11日
20日
宅建試験合格発表。直前までダメだって思ってたのでとても嬉しかった。
水戸で久しぶりの講演会手話通訳。それも内容がとても難しくてメゲる。
歯医者で4万円もふんだくられる。悲しい。
養成委員会。かろうじて今年度の士養成講座の会計報告を提出。

 2003年を振り返ると「今年は仕事と宅建の勉強で終わった」て感じです。

 職場は若い人がどんどん転籍して、僕も経験の有無に関係なく法改正部門へ異動になって、ひたすら勉強の毎日です。年金の法改正作業はレアケースとの戦いみたいなものなので、イレギュラーな事例の年金計算の仕組みを理解できないと仕事になりません。
 でも、宅建試験で最後まで勉強をやり抜いて合格できたというのが貴重な経験になっています。1日中1つの計算事例を考えてるなんてこともざらですが、メゲずにねばり強く勉強を続けています。

 その分、谷和原村手話講習会の講師を年度途中で降りさせてもらったり、士養成講座の総務の仕事がキチンとできなかったりして手話関係の方には大変ご迷惑をおかけした1年でもありました。「もう手話の活動も潮時かな…」との思いが何度も頭をかすめました。12月にやった手話通訳もペアの若い人の通訳を見ながら、「僕にはあんな風にできないなぁ〜」と強く感じましたし、自分が今何をやらなきゃいけないんだろうと考えても「手話の活動はしばらく休んだ方がいいんじゃないか」と何度も思いました。

 職場がいよいよ危なくなってきていて、「手話やってる場合じゃないんじゃない?」との現実的な問題もあります。でも、「これ以上周りに迷惑かける前に…」という誘惑にかられつつも、とりあえずやれるだけのことを来年も頑張ってみようという気持ちが今の僕です。自分でもどういう選択が良いのか分からないのですが、ひの手話サークルの30周年に参加して「まだまだ僕にできることがあるかも…」って感じました。もう一度原点に返って来年は一から勉強し直したいと考えています。

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