木のつぶやき | |
2002年10月20日(日) |
木下大いにメゲる「あなたは、ろう者と会ったことがないのか?」
9月11日につぶやいて依頼、比較的ハイテンションで更新を行ってきため、個人的な愚痴を書く余裕がありませんでした。(幸せなこってす)
昨日(9月19日(土))、久しぶりに茨城県の手話通訳者養成講座に出席しました。講座そのものはとても面白く、これはこれで書きたいことがいろいろあり…、その上、講座修了後に受講生S×2さんから「全通研茨城支部の地域班を県南でもやりましょう」との嬉しい相談もあったりして…(大いにやりましょう!)。
問題は、講座修了後の講師のお茶飲み話しの中で出ました。「茶飲み話」というか、あれは講師の反省会あるいは、今後の講座の進め方に関する打ち合わせに近いものがあって、それなりにシビアな話をしてるのです。
僕は講習会の後は、受講生ともっとざっくばらんな話をした方がいいって考えていて、たんぽぽでも「打ち合わせは例会場で短時間で終わらせて、喫茶店や飲み屋では、スタッフだけが集まって話し込むようなことは止めよう。」てことになってました。
ただ、今の僕は、仕事の関係から平日の夜に行われる打ち合わせは基本的に全て断ってるので、講座修了後のこの時間に打ち合わせないと「木下がなかなかつかまらない」状態で他の講師に迷惑をかけているので、若くて美しい受講生つかまえてバカ話ししてるワケにはいかなくて(「若くて、美しい」って価値観がそもそも、茨城のみんなに理解されてないんだよなぁ〜)、どうしても「シビアな打ち合わせ」になってしまうのです。
ことの経過をここに書くわけにはいかないのですが、正直な気持ちとして、「やっぱ講習会の講師を引き受けたこと自体に、無理あるよなぁ〜」と思ってめげてる僕がいます。
<こっから先は、すべて「愚痴」ね。忙しい方は読まないでください、時間の無駄です。>
東京だったら、都の講習会の講師が僕に回ってくることは絶対ないし、世田谷だって、「区の講習会講師に木下さんどうかなぁ〜」とは、誰一人考えつくことさえありません。
別にこれまで経歴を詐称(さしょう=ごまかして)してきたわけではありません。でも、茨城では「手話通訳士」って肩書きだけが一人歩きしてきてしまって(その責任は自分にあるのですが)、態度が偉そうなこともあって(これが一番いけないのですが)、どうも「謎の人物」のまま、茨城では「士養成講座」の講師や、テレビ「おはよう茨城」の手話通訳、そして今回の「茨城県手話通訳者養成講座・応用実践コース」の講師を引き受けることとなったわけです。
けれども、プロフィールをご覧いただければ分かるように僕が、いわゆる公的な手話講習会の講師を担当していたのは、もう15年も前の日野市時代のことなのです。
世田谷に引っ越してきてからは、たんぽぽの活動だけで、いわゆる手話通訳活動はほとんどしていません。世田谷には登録手話通訳者連絡会という通訳者の勉強会があるのですが、会員ではあったものの年に1〜2回参加する程度。それは、結局、僕の関心(興味)が、「しんどい手話通訳」に向いてなかったからで、「楽しい手話サークル」と「オモロイかたつむり(ろう重複問題)」オンリーで20年間を過ごしてきました。
それに、どうも「手話通訳者とろう者」という関係性が好きになれなくて、それは「責任逃れな気持ち」なんだろうなぁ〜と思いながら、「やっぱつき合うなら友だちとして、仲間として」という安易な姿勢でここまで来てしまいました。
でも、今回、茨城のろう者に「あなたは、ろう者と会った(つき合った)ことがあるのか?」と正面切って言われて、確かに「友だち」とか「仲間」って言葉にもゴマカシが、あったかもなぁ〜と自分を振り返っています。
「なぜ、真っ先にろう者に相談しないのか?」とも言われました。
正直に言うけど、僕の中で「相談する対象」として思いつくのは、ごくごく限られた人です。もともとあんまり人に相談しないタイプだしね。一人で考えて一人で解決する独善的なタイプだから…(そこが一番いけないんだ!と私をよく理解しているたんぽぽのSさんによく言われました。)。茨城でいうと…、そうだなあ、これまで「相談」したことあるのは、Sさん、それからSさん&Bさんの3人くらいだと思う。
東京でも、真っ先に相談するのは、ずっとたんぽぽを一緒にやってきたSさん。ろう者だと、同じく一緒にたんぽぽ引っ張ってきてくれたAさんくらい。世田谷のろう協の理事クラスは”偉すぎて”相談の対象というより「お伺いを立てる」対象だったからね。
「廊下で受講生と聴者講師だけが立ち話をしているのも、おかしい。ろう者と一緒に話すべきだ」とも言われました。僕に対する不信感っていうのも、すごくあるんだなぁ〜と思いましたし、信頼されてないんだなぁ〜そりゃ当然だよなぁ〜新参者の「謎の人物」だからなぁ〜、と感じたのです。
でも、そんな経歴と気持ちを「素直に(?)」話しました。
話したからそれで話が解決したワケではありません。先日だってYろう講師と大げんかして「あんたは、ろう者の気持ちが全然分かっていない!」と言われたばかりで、「なぜ真っ先にろう講師に相談しないのか?」と言われても、これまで一度も話したこともないろう者には「相談のしようがない」、何と言って相談したらいいか分からない。やっぱこれまでも散々お世話になってるS通訳者に、意見を聞きたくなるし、それはこれからもそんな簡単には変わらないと思う。
「それに、通訳者養成の課題を、真っ先に通訳者仲間・先輩に相談するのも、僕の頭の中では”当たり前”なことで、残念ながら世田谷時代でも、いきなりろう者に相談したことがない」
こんな経過から冒頭の「あなたは、ろう者と会ったことがないのか?」と言われてしまったのです。
あ〜、なんか書いていて悲しくなる。講師も辞めたいし、通訳者って看板もはずしたい。もともと東京では、「通訳者じゃなくて、手話サークルの一スタッフ」で通して(?)きた僕だから、今さら「手話通訳者として、そんなことで恥ずかしくないのか?」みたいな言われ方してもなぁ〜。「士」の免状返そうかなぁ〜。
家に帰る途中でも、そんなことが頭の中をグルグル回っていて…。一体全体僕が手話通訳を続けているのは何故なんだろうか?というところまで自信がなくなってしまった。
こうした課題が生じるのは、僕に「職業意識」がなくて「ボランティア意識」に逃げ込んでるから、ということもあると思う。「僕は専任手話通訳者ではないし、それでメシを食べてるワケでもない。ボランティアで、善意で、忙しい仕事の合間を縫ってやってるのに…」って思い。これ恩着せがましいよねぇ〜。
僕がろう者だったら「そんな方は、とっとと辞めてください」って言うんだろうか? 言えるんだろうか?
その「打ち合わせ」は、取りあえず「じゃ、とにかくお互いの気持ちも分かったことだし、これからは、もっと腹を割って話そう。そして、同じ講師同士、ろう者とか聴者とか関わりなく、真っ先に講師仲間どうして相談し合って行こう。」ってことで終わりました。
僕も、今回のことを通してこれからは講習会のことは「真っ先にろう講師に相談」してみようって考えてます。考え方の基本は、これでいいんだと思います。 ただ、ちょっと心配なのは、相談する時のその「コミュニケーション手段」についてです。
さっきも書いたように、僕は、ろう者との日常的な関わりは全くありません。職場にも近所にもろう者はいませんし、仕事で平日はほとんど家族と話すことさえ少ないですからたまの休みはできるだけ「自分のこと」をしたいと考えています。20代〜30代の頃にはサークル仲間としてろう者とも一緒に遊び回った時代がありましたが、お互い家庭持ちになった今は、そんなこともまれで、茨城に引っ越してからはそんなろう者仲間とも会う時間もゼロになりました。
通訳活動も公的な依頼で引き受けられるのは月1回が限度です。今はサークルにも行ってないので、月2回の谷和原村の手話講習会が唯一の「手話を使う場」です。
”相談できるだけの手話が自分にない”のです。いつも感じるのですが、相談や議論など「論理的な話」をするだけの手話の力が自分にないことを痛切に感じています。別に隠してきたワケじゃなくて、以前、大阪の「草の根ろうあ者懇談会」の稲葉通太(いなば みちお)さんが東京に遊びに来てくれた時にも、あれこれ議論しながら自分の手話が完全「音声語対応手話」であることを自覚して、ショックを受けたことがあります。ろうである彼の手話と、僕の手話は議論しながらも違う言葉で話しているうような違和感を感じたのです。つまり議論になってなかったんだろうなぁ〜と思うのです。彼の手話を論理的に理解できてたはずがないわけです。
僕は、これから「講習会カリキュラムに関するアイデア」をろう者に相談していくわけですが、それらは全てろう者に「音声語対応手話を読み取ってもらう」ことから始まります。こちらからは一方的に音声語対応手話で話して、ろう講師の意見を満足に(論理的に)読み取ることができない僕との間に果たして「相談」が成り立つのか、すっごく不安・自信がないのです。
そんなわけで、手話通訳者としての適性、手話通訳者養成講師としての素養、そして相談・議論できるだけの手話の力量のなさ、いずれをとっても不安だらけですが、「まあ、ゼロから始めるしかない」と考えるようにしています。
先ほども書いたように受講生の何人かが、「地域班をやりませんか?」と声をかけてくれました。「もう一回ゼロから勉強し直す」いいチャンスかもしれません。若い人たちには、「僕みたいにならないように」、ろう者と共に育ち合う手話通訳者として育っていって欲しいと思うのです。
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