木のつぶやき
2002年8月7日(水)

子供の眼はごまかせません!

久しぶりに通訳に行ってきました。
公開講演会「ロボットでさぐる生物の世界」 日本比較生理生化学会主催

生き物の動きから学んで、最新のロボットを動かす仕組みを研究・開発していらっしゃる東大と東工大の先生のお話を通訳しました。

手話通訳は私を含めて3名。事前に次の単語の手話表現を確認しました。

通訳の立ち位置は舞台上手手前の講師のすぐ隣り。さらにOHPもあり。
講演される先生お二人が事前に講演で映すレジュメ(パワーポイント)をパソコン画面で一通り見せて下さるという最高の条件でした。

話の内容は確かにロボットと生物の関わりということで難しい面もいろいろありましたが、スクリーンに大写しにされたレジュメに映像や図がふんだんに取り入れられてあったので、聞こえない子ども達もそれなりに楽しめたのではなかったでしょうか?

「それなりに」というのは、手話通訳を見ていても、意味が分からないと子ども達は「遠慮なく」後ろに座ったお母さんに手話で聞いたり、「露骨に」OHPばかり見たりしたからです。

子供は正直だな、とつくづく感じると同時に、普段、成人ろう者にいかに「甘やかされてる」かも痛感しました。大人とろう者は、僕らの手話通訳がヘタでも「うんうん」って見ていてくれます。でも、子供に遠慮はないので、「ヘタ」で「分からない」部分が出ると、とたんにこっちを見てくれなくなります。

一生懸命手話通訳しているのに、OHPばかり読まれるのは、悲しいものがあります。 僕も必死で「分かりやすく」表現する工夫をしましたが、なんせ話自体が難しい部分もあって、かなり「シカト」を食いました。

でも、逆に子ども達に手話が通じて、真剣な表情でこっちを見てくれる時間もあって、すっごくやりがいのある通訳でもありました。

手話通訳をしている時に、その場にいるろう者に「通じてる」(今冷静に振り返ってみると「取りあえず読み取ろうとしてくれてる」程度だったかもしれないけど)って実感をビンビン感じながら、そしてその反応に対して表現を工夫し、どんどん変化させていくことが「手話通訳」という行為には、とても大切なことなのではないでしょうか。

なんていうか、上手くいえないけど「ろう者と共に情報を共有している」っていう実感をもてるような手話通訳をしていきたいと考えています。

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