木のつぶやき
2000年2月8日(火)曇りのち吹雪

ようやくスランプ脱出

 いやぁ、苦しかった。(今日のこの原稿は、闘病日記みたいなもので、「内容がない」のでお忙しい方は、パスしてくださいネ)

 何がきっかけだったのか、よく分からないけれど「何もできない」状態になってしまいました。
 何もする気がしない。何とか始めても最後まで続けられない。「せたつむり」の書きかけの原稿がいくつもあります。

 前回最終更新は、1月20日(木)。
 この日、他の労働組合の「旗開き」(労働組合の新年会を「旗開き」というんですね。皆さん知ってました?組合の赤い旗を年明け後初めて開く(掲げる)という意味合いなんでしょうね)がありました。そうそうこの日も「サイテイにネガティブな気分」だったことをよく覚えています。
 「行きたくない」「行っても絶対黙って静かにしてよ」と心に決めて参加してました。
 結果的には、この日にお会いしたある上部単産(これも「労働組合専門用語」ですよね。「たんさん」というのは「単位産業別労働組合」の略なのかなぁ?ワカラン)の幹部の方のお話を聞き大いに勉強になったので「頑張って参加して良かった」ってスゴク思ったのですが、情勢が厳しいことを再確認し、気持ちとしては、さらに一層沈んでました。(雇用が危うくなったときに労働組合にいったい何ができるんだ?何もできないんじゃないか?っていう無力感に襲われました。)

 その週末(1月22日〜23日)は北海道に出張。(これも凍結した阿寒湖の写真付き原稿が書きかけ)
 あくる月曜日(24日)は熱海で労働組合(「連合」)の春闘学習会に日帰り参加。
 25日(火)夜には会社の労働組合で外部から講師を招いての講演会開催。
 28日・29日も労働組合の合宿で伊豆高原へ。
 30日(日)は引っ越し。
 31日は飲み会。
 2月に入っても忙しくて2日(水)は長野へ日帰り出張。
 そんでもって4日〜5日は企画課の慰労会で三たび熱海へ。
 5日は埼玉県大宮で全通研討論集会。(これも原稿書きかけたのに途中でメゲた)
 6日は谷和原へ。
 7日(月)は「たましろ資金プロジェクト会議」。メンバーとの意志疎通不足を反省して23時までおしゃべりしまくりました。
 この間、ずっと「せたつむり」の更新ができませんでした。何度か書きかけたのですが、家に帰ると「何もする気力が起きない」状態でした。引越し屋さんに見積もりを頼むので精神的に落ち着かなかったということもありました。(僕は「交渉ごと」が大の苦手なのです。)
 それにしても、こうして振り返ってみると「とにかく忙しかった」んですね。

 何か「せたつむり」を更新しないとこのページを読んでくれた人に申し訳ない気がして、一種の強迫観念に駆られていたような気がする。
 でも、昨日「たましろ資金プロジェクト」のみんなとじっくり話せて、ようやく吹っ切れた気がします。
 「たましろ」の仲間たちが、「私たちがいくら頑張ったって何もできてないじゃないか?」って悩んでいることをお互いに話せたら、逆に「それでもここまで頑張ったんだから、ここで投げ出したら悔しいじゃない」ってお互いを励まし合えた。
 「私一人に何ができるっていうの?」そんな仲間の声を聞いて「これからは絶対お互いにもっと気持ちを伝え合おう」って思えた。
 人に責任をなすりつけるんじゃなくて、「あの人もあの人なりに頑張っているのよ」って認める気持ちになれた。
 「世田谷かたつむりサポーターズクラブ」である「せたつむり」にとって「たましろの郷」建設は悲願だ。東京都の予算認可も内示が下りた(この原稿もサボってる)。あと残り3〜4ヶ月だ。ここで負けちゃいけない、って思う。今が一番苦しいときだって思う。
 僕はマラソンが好きで、ある有名な選手が、苦しいマラソンの中で「次の角を曲がったら、(もう走るのはやめて)歩こう」って思いながら、次の角、次の角って最後まで頑張られた、という話しにたいへん感銘を受け、自分が苦しいとき、いつもこの言葉を思い出すようにしています。
 「たましろの郷」も「もうあと一つ角を曲がるまで頑張ろう」と思う。

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