木のつぶやき | |
2000年1月10日(月)晴れ・成人の日 |
ことし40歳迎える1960年生まれ
地下鉄の吊り広告でAERA(朝日新聞社)「ポスト団塊の嘆き」というコピーを目にした。
「役職不足、年金不安・・・上の人より何となく損な感じ」「軽佻『不惑』ことし40歳迎える1960年生まれ」とある。
”何だよ喧嘩売ってんのかよ?”って思う。
こんなことで年齢を白状したくないけど、僕も1960年生まれなのだ。
思わず駅の売店で買ってしまった。(1月10日号)
今年成人を迎える人は1980年生まれ?いや1979年生まれが中心かな?新成人が20歳も年下だなんて・・・。
最初の「ポスト団塊の嘆き」の記事には「なぜ、不満がピークになる世代なの」として、どうもいろんな調査をやるとこの世代が一番「不満が多い」ということが書いてある。
僕も大学時代バスケットボール部の同僚からよく「オマエは文句が多い」と言われたけど、これはちょっと意味が違うね。
それでもってその分析結果として「上には団塊世代がどっかり構え、目立たず損した気分。会社では役職が減り、年金も減額。不満ばかり渦巻く。でも、ここは冷静に、他の世代と境遇を比べてみよう。ポスト団塊こそは『ほどほど幸運世代』とならないか。」ということで実は就職難も今の20代に比べればどってことないし、大学入試だって実は浪人が一番少ない世代。給料だって「今日の40代は、親の代が完成した『戦後体制』と『兄(団塊の世代)』が遺した過剰施設の双方に恵まれた」(堺屋太一経済企画庁長官)だそうで、「上の世代の地ならしの後で、わりといい思いをしている世代」とのこと。
結構言えてるかも知れない。
この世代は「時代の転換を前向きに乗り切ろうとせず、不満ばかり目立たせているのがポスト団塊」であり、「年功序列や終身雇用といった古い意識にとらわれているのも、ポスト団塊まで」なんだそうです。
そしてまとめとして「おかしいわよ。本当に苦しいのは、五十代の団塊おじさんたちでしょう。必死で踏ん張っているんだから。それに比べて、いまの四十代は、最後の一線が甘い」と断じている。
う〜ん、反論でき〜ん。(^_^;)
もう一つの記事「ことし40歳を迎える1960年生まれ」には、60年生まれの著名人が何人か紹介されている。
その中でも僕がたいへん共感したのが、浅野ゆう子さん。
曰く、「28歳からの10年間はまさに疾走という言葉があてはまる」・・・僕も30代は突っ走ったという言葉がぴったりのあっという間の10年だった。そしてそれは手話サークルたんぽぽと共に駆け抜けた10年だったように思う。
曰く、「40歳になったら、30歳のような疾走はできないだろう。役柄もどんどん狭まってくる。自分で望んでいるものと要求されるものとのギャップに、どれだけ歩み寄れるか。」・・・僕もかつてのように自分の頭に閃いたことをそのとおりに実行するなんてことがだんだんできなくなっている。仕事の制約、家族との関係、いろいろな関わりがより複雑になっていろいろなギャップを感じる。それ以上に自分の能力と体力が「応えきれない」と感じることが多い。
曰く、「バブリーな時代には、私は太陽のような存在だったと思います。今はSMAP(スマップ)がトレンドであり、太陽でしょう。これからはそういった光に刺激されながら、輝ける月のような存在でありたい。」・・・月のような存在かぁ、「僕もまた輝けるのだろうか?」という不安を感じている。
曰く、「一人の人間としては、時間に余裕が出てきたら、今まで学校で勉強してこなかったものを勉強し直したいという希望も持っている。」・・・僕が英会話に目覚めたのも同じ心境からなのかもなぁ、と思った。
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