木のつぶやき
2000年1月9日(日)晴れ

「新年こどもまつり」に行って来ました。

 世田谷区の新年最初のイベント「新年子どもまつり」に行って来ました。
 一つには長女と次女が千歳小学校でやってるブラスバンドの演奏があったため、そしてもう一つは手話サークルたんぽぽが毎年参加しているお祭りだったからです。

 ブラスバンドの演奏は、親バカ分を差し引いても「感動もの」でした。去年初めて演奏を聴いてたいへん感動したので今回はビデオ持参で行ったのですが、ホント小学生だけの演奏とは思えないステキな演奏だったと思います。今回は小学3年生までメンバーだったとのことで驚きです。指導してくださる八木先生の熱意の賜物だといつも感心させられます。
 次女の場合だって、初めて楽器(彼女はユーフォニューム担当)を触って以来まだ1年も経たない訳ですし楽譜だって読めなかった状態から、ここまでまとめて来るというのは、もちろん子どもたち自身の努力もあるわけですが、毎日欠かさず早朝から熱心に子どもたちに接してくださる八木先生の思いが子どもたちに伝わっているからではないかと思います。
 特にブラスバンドは全体のハーモニーが大切ですから、「共に一つの演奏を成し遂げる」充実感が娘たちを見ていると伝わってきます。
 大人の熱い思いが今時のドライな子どもたちの心を揺り動かし、一人一人の子どもたちが奏でるメロディーとリズムが全体として溶け合っている演奏だったように感じました。

 一方でたんぽぽの手話歌は、「ちょっとマンネリ気味かな」という感想を持ちました。子どもは正直です。大人が子どもたちに本気で語りかけようとしているのか、イベントだから歌っているのか、すぐに見抜いてしまうように思います。また、大人自身が心から楽しんでいるのかどうかも大切な要素だと思います。
 ポケモンの「ひゃくごじゅういち」と「手の歌(ってタイトルだっけ?)」を見ましたが、正直言って「会場との距離」を感じました。
 子どもまつりは「シンドイ」企画です。たんぽぽのリーダーだった頃、僕は「一番重要」だと思いながら「一番苦手」なイベントでした。
 子どもに真っ正面から僕らの「心を開いて」いかなければ「受け止めて」もらえないからです。小手先の企画では誤魔化しの利かない素直な子供たちが相手だからです。
 新年早々のまだちょっと正月気分の抜けないこの時期に、子どもたちに向かって「手話を覚えよう!」と呼びかけるのは相当なエネルギーを要しました。準備期間が短いのも負担でしたが、それ以上に僕は「子どもが苦手」でした。
 「未来を担う子どもたちに一人でも多く手話に接し、聴覚障害を持つ子供たちのことを知って欲しい」という理念でもって僕は「子どもまつりは重要なんだ」と自分に言い聞かせてきましたが、実は僕自身は、正直に白状しますが「子ども相手は嫌い」なタイプの人間なのです。

 何年か前(ずっと前かも知れない)に僕はこうした自分を振り返って「子どもまつりには僕は手を出さない」と決めたことがありました。「子どもが好きなメンバーだけがやればいい。」と考えました。たんぽぽとしての参加ではあるものの「ホントに子どもが好きで、是非子どもまつりで子どもたちに手話を教えたい」って感じるメンバーだけに担当してもらいました。
 結果は、当たり前ですが、とっても素晴らしいものだったように記憶しています。僕は聴覚障害者協会の新年餅つき交流会に参加した後、子どもまつりに合流しましたから全部を見たわけではないのですが、僕が企画した年とは明らかに雰囲気が違ったように思います。

 で、結局何が言いたいのかというと、僕自身が今でも「子どもまつりは苦手」だって改めて感じた、ということが言いたいのです。たんぽぽの手話歌を見て「距離を感じた」というのは、実は僕自身の心の中の距離なんだろうな、ということです。
 たんぽぽの皆さんゴメンナサイ。僕が感じたのは、たんぽぽと会場との距離じゃなくて、僕とたんぽぽとの距離、そして僕と子どもまつりとの距離だったようです。
 やっぱりブラスバンドだけ見て、すぐに帰れば良かった。グチグチ・・・・。

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