新聞切り抜き帖
2002年10月21日(月)朝日新聞 夕刊
自殺で親を亡くした遺児たちが手記集「自殺っていえなかった」を出版
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自殺で親を亡くした遺児たちが手記集「自殺って言えなかった。」を24日に出版する。「自殺がばれると、いじめられる」「縁談が壊れるのでは」。びくびくしながら生きてきた。しかし自殺する人は減らない。黙っていてはだめだと考えた。一部の人は実名と顔写真を公表。「自殺者を出さない社会を」と訴える。遺児には「悩んでいるのは1人じゃない」とメッセージを送る。 東北地方の大学生、松村千晶さん(21)は小学2年の時、会社員の父が車に排ガスを引き込んで命を絶った。遺書はなかった。「友人にだまされて借金があった」と後で知った。死の1ヶ月前から「出張に行っている」と聞かされていた。実は昼間、子どもが登校している間に帰宅し、母に「眠れない」といっていた。 死後、親類から事故死だというよう口止めされた。「父は間達ったことをした。誰かに話せば嫌われる」とおびえた。友人が親の話をすると、その場から離れた。授業参観日はつらかった。中学の授業で「お父さんは何時に家に帰ってきますか」と聞かれ、何も言えず泣いた。父を恨み、自分も自殺しようと考えた。 死ぬ直前、父が学校に来た。友人といたので、「早く帰っていいよ」と言ってしまった。「やさしい言葉をかけていれば」と自分を責める。 東海地方の専門学校生の藤田優子さん(19)は3歳の時に父を亡くした。父の遺品は写真まで捨てられた。小学生の時、母に自殺と聞かされ、人には病気というように命じられた。 古い借家に住み、同じ服を続けて着るのがしょっちゅうだった。学校で「汚い」といじめられた。母は藤田さんの手を引いて踏切に飛び込もうとしたり、包丁を手に追いかけたりした。「居場所がない」と思った。 松村さんらは99年、親を亡くした人に奨学金を出している「あしなが育英会」の心のケアプログラムに参加した。同じ体験を持つ仲間に囲まれ、初めて「自殺だった」と言えた。埼玉県の大学4年斉藤勇輝さん(21)を中心に、匿名で小さな冊子を作製した。 無料で配ると、「私の親も自殺でした」などの電話が殺到した。「自殺未遂をしたが、もうしない。お守り代わりにする」という男性もいた。 「大勢の人が悩んでいるのに、訴える場がないのでは」。そう考えた斉藤さんらは、全国の遺児家庭を訪ね、胸の内を聞き書きした。幼い遺児や母親の声も含め、31編が集まった。8人は実名で語り、うち4人は表紙の被写体になった。 斉藤さんは「自殺がばれると、いじめられるのではと、ずっとびくびくしていた。でも、堂々と生きていきたい。それが遺児や遺族の勇気となるはずだと決心した。時間がかかったけれど、もう怖くないと思えるようになった」と話す。藤田さんは「自ら死を選ぶ人を減らすために、身近で苦しんでいる人を放っておかないで欲しい。一人ひとりにもっと優しい社会を」という。 手記集はサンマーク出版から出版。272ページ、1300円。 |
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自殺者数と遺児数 昨年1年間の全国の自殺者は3万1042人(警察庁まとめ)で、急増した98年以来、4年連続で3万人を超えた。交通事故死者の3・5倍。生活苦、失業などで悩んだ40代、50代男性の自殺増が主因だ。 副田義也・金城学院大教授(社会学)の調査では、親の自殺による20歳末満の遺児は2000年で約9万100人。1日平均27人、年間約9800人の割合で増えている。 |