新聞切り抜き帖
2002年8月6日(火)朝日新聞 朝刊
国際平和シンポジウム・基調講演「核使用の新たな脅威と価値観の危機について」
アフガン爆撃、憤るべきだ
<国際平和シンポジウム>
朝日新聞社と広島市、(財)広島平和文化センターの共催で、8月4日(日)10時〜17時、広島市中区の平和記念公園内にある広島国際会議場で、国際平和シンポジウム「呼び戻そう核廃絶の流れを−報復から対話へ」が開かれました。 昨年9月11日に起きた米国での同時多発テロとこれに対するアフガニスタンへの軍事攻撃で、世界の在り方は急変しました。核軍縮の流れも逆流しつつあるかに見えます。米国の単独主義の行方、そこと同盟関係にある日本の責務などを、被爆地ヒロシマで考えました。 第1部は【講演会】で、江戸家猫八(故人)の被爆証言ビデオ上映のあと、長女で演芸家の江戸家まねき猫さんが、「お父ちゃんの手帳」と題して話されました。続いて、作家で元共同通信記者の辺見庸さんが、「核使用の新たな脅威と価値観の危機について」、基調講演されました。 午後から第2部の【パネル討論】です。パネリストはモロッコ・モハメド五世大学教授のマフディ・エルマンジュラさん、カーネギー財団不拡散プロジェクト代表のジョセフ・シリンシオーネさん、大阪大学大学院国際公共政策研究科教授で関西スクエア企画運営委員の黒澤満さん、ネバーアゲインキャンペーン(NAC)ボランティアの野上由美子さんでした。コーディネーターは中川謙・朝日新聞編集委員。 |
<辺見 庸さんの基調報告>
「また、8月6日がやってくる。小さな太陽が広島上空にできて一瞬にして人々を灰にした。7千度の高熱や、人々をなぎ倒した毎秒650メートルの爆風を想像してみる。そして、「人間はいったいどこまで非人間的になれるのだろうか」というテーマを考える。これは20世紀の負のテーマで、ヒロシマはその大きな象徴だ。20世紀の100年間、戦争と地域紛争で1億人が殺された。圧倒的に非戦闘員が多い。
人間はどこまで非人間的になれるのか。このテーマを解明しないまま、21世紀に入った途端、大きな出来事があった。今年の8月6日がいつもと違うのは、9・11の同時多発テロとそれに続くアフガニスタンへの報復爆撃があり、日本が初めて参戦したからだ。ヒロシマの「大虐殺」とアフガンでの事態はどこかでつながっている。
昨年12月、アフガンに行つた。米軍はそこにクラスター爆弾や戦術核並みの破壊力の特殊大型爆弾「デイジーカッタ一を投下した。こうした爆弾がまるで害虫でも駆除するような発想で使われる時、核兵器のみを特殊視し、それ以外に目をつぶるわけにはいかない。
今日、クラスター爆弾の破片を持ってきた。この爆弾は何万もの破片になって1キロ四方に広がる。銀色の幕となって空を覆い、お年寄りや赤ちゃんの体にも食い込んだ。アルカイダが潜伏していたというトラボラ地区で、米軍はDNA鑑定のため、原形をとどめない死体から指を切り取ったという。人間は果たしてどこまで非人間的になれるのか。
昨年10月7日に始まった米軍の空爆にずっと反対している。非人道的な戦争犯罪だ。ただ、私の反対の声はまだ足りなかった。もっと必死になって反対すべきだった。米英軍の空爆は戦争ではない。アフガンでは、交戦の気配はほとんどない。タリバンは武器使う間もなく殲滅された。タリバーン兵といわれた者の多くは、日々の糧を得ようと必死だった農民たちだ。飢えた農民に地形が変わるほどの爆弾を落として、勝ったと喜ぶ国の常識を根本から疑いたい。
米軍は、白人が暮らす欧米の都市にタリバーンがいたら、同じように爆撃しただろうか。アフガンでは少なくとも4千人の民間人が殺された。アフガン人の「命の指数」を1とすると、米国人の命の指数は100、千あるいは1万くらいになるのではないか。広島の虐殺について憤るなら、アフガンやパレスチナの虐殺でも反対の行動をし、はっきりと大声で憤るべきだ。
米国は英国と共同で臨界前核実験を行い、プルトニウムを使った核兵器の起爆装置の製造も再開するとされる。ブッシュ政権は包括的核実験禁止条約CTBT)を死文化させ、核不拡散条約(NPT)にもダメージを与えた。核廃絶の動きを数十年後退させた。さらに、実戦使用できる小型核兵器の開発方針を打ち出すなど狂気じみた核戦力の見直しと戦争政策が進められつつある。
安倍晋三官房副長官は5月、核兵器の保有は憲法違反ではないと発言し、福田康夫官房長官がこれを事実上肯定した。小泉首相は非核三原則の法制化は必要ないと言うが、なぜ法制化できないのか。小泉内閣は核廃絶を本気で願わず、有事法制を作って日本を戦争のできる国にする内閣だ。
我々はもう言いよどむべきではない。いつもの年中行事としての8月6日であってはならない。爆弾を投下される側に、我々の想像力の射程をもっと伸ばしていかねばならない。
人間はどこまで非人間的になれるのか。このテーマに対抗する価値は、「人間はどこまで人間的になれるのか」しかない我々はその立派なテキストとなる平和憲法を持っている。この憲法は、人間がどこまでも人間的であろうとする、誇るべき憲法だ。
何としても現状を変える必要がある。8月6日を文化遺産のように風化させてはならない。過去から学ばない者は同じ過ちを繰り返す。忘却に歯止めをかけて、過去に学び、戦争反対を叫ばなければならない。」
(下線は、木下)
▲日本にいて、「戦争」を想像することは、難しい。けれど僕は、様々な情報を自ら集めることによって、世界を「想像」しなければいけないと思う。「なんかよく分からない」ではなく、「分かることから考え、感じたことを発信する」ことが大切だと思う。
▲田中宇さんの国際ニュース解説 http://tanakanews.com/ は、僕にとって「今の世界」を知るために重要な情報を提供してくれる。
▲学生の頃、新聞スクラップをやっていて、急に戦争関係の記事が増えたと感じた時があった。世界は動いている。それを動かす「力学」を少しでも理解し、自分が嫌な方向には「動かされない」という自分、「動かされないように行動する」自分を持ちたい。