新聞切り抜き帖

2002年5月3日(金)日経新聞朝刊

「育てワンちゃん、命の耳」◇聴導犬育成のボランティア活動を主導◇ 有馬もと

耳が不自由になった自分を想像してほしい。就寝中に火災があったとする。火災報知機やサイレンの音が聞こえない。誰かが起こしてくれれば、煙のにおいに気づけば事なきを得るだろうが、それもなければ…。こんな危険から守ってくれるのが聴導犬である。
電話の呼び出し音(や玄関のインターホン、お湯の沸騰を告げるヤカンの音など生活に必要な音も知らせてくれる。盲導犬に比べて知名度は低いが、聴覚に障害のある方の生命を守る重要な存在だ。

英国暮らしが契機に

私は聴導大の育成に取り組んでいる。聴導犬を育てる動きは1975年に米国で始まった。現在、育成活動が最も盛んなのは英国で、年間150頭を育てている。日本での育成は英国より1年早く81年に始まったが、頭数はこの20年間で合わせて20数頭だ。国内の育成団体の中で唯一の特定非営利活動法人(NPO法人)が、私たちの「日本聴導犬協会」である。
寄付や募金で運営される団体の代表を務める私だが、実は大の"募金・ボランティア嫌い"だった。小学生のころ初めて募金集めをした時、そのお金がどう使われたか、先生から一言の説明もなかったからだ。大学卒業後は英国の大学院へ留学し、外資のエグゼクティプになるのが夢だった。
考え方が変わったきっかけは、三年間の英国暮らし。英国では障害者もお年寄りも、誰もが援助をする側にもされる側にもなる。強者と弱者の線引きがいくらでも書き直せることが興味深かった。学業の合間のフリーライターの仕事で英国の聴導犬脇会の人たちと出会う機会にも恵まれた。
帰国後、長野県のある保健所長と知り合い、捨て犬を救いたいと話す彼女に英国の聴導大脇会を紹介した。ところがボランティアの間でトラブルが起こり、英国の協会に「君が中心でやって」と言われた。私はその時、ある外資系企業の面接で良い感触を得ていた。が、目の前には保健所から引き取った六頭の子犬。犬を飼った経験もなかったが、長野県宮田村の空き家に泊まり込み、犬の世話を始めた。97年10月のことだ。

600頭に1頭、訓練2年

聴導犬になれるのは約600頭に1頭。訓練を終えるまで2年近くかかる。候補犬は、保健所や動物保護団体での第一次査定後、協会スタッフによるテストを行う。抱き上げた時に落ち着いていること、指の間を押されるなど多少のストレスでは動じないこと、などが条件。犬種は問わないが、ポメラニアンやコリー、洋犬の混じった雑種などが良いようだ。
さらに、男性15人に会わせたり、子どもや車に遭遇させたり、32項目で適性をチェックする。人間の社会に適応させるためボランティア宅で生活もさせる。ここまで約1年かかる。
その後、ユーザーとの相性を調べた上で、音の訓練を始める。全く聞こえないのか、高音や低音だけが聴き取りにくいのか、ユーザーによって異なるからだ。タイマーで音を鳴らし、それを知らせに来たらほめる、人をタイマーの場所まで導いたらまたほめる、といった訓練を4−6カ月。ユーザーとの2週間の共同訓練や、3カ月の自宅訓練を経て認定試験だ。

育成者はアーティスト

犬と同じように、育成する人間にも向き不向きがある。英国では「トレーナーはアーティストと同じ」といわれる。犬をほめたり無視するタイミングが絶妙でなくてはならない。
ユーザーには無料で聴導犬を引き渡す。これまで4頭の聴導犬を貸与し20頭ほどを育成中だ。運営費はすべて寄付や助成金。自分が"募金不信"だっただけに、活動報告はこまめに送る。
盲導犬や聴導犬など補助犬を育成する世界65団体で「国際アシスタンス・ドッグ協会」を組織し、情報交換しながら全体のレベルアップを図っている。私は今年、日本人で初めて同協会理事に選ばれた。何かに背中を押されるように始めた活動だが、ある程度の水準に達することができたとほっとしている。
しかしまだまだ前途多難だ。聴導犬などを公的な乗り物や場所に同伴できるようにする「身体障害者補助犬法案」が今国会で審議中だ。この法案は訓練犬の認定団体を公益法人や社会福祉法人に限っている。
法人格取得には多額の資金が必要で、私たちのように善意に頼る団体の多くは認定団体になるのが難しいというのが現状だ。法案に異論をとなえつつも、資金集めにあたふたする今日このごろだ。(ありま・もと=日本聴導犬脇会会長)

日本聴導犬協会のホームページはこちら

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