2002.10.12(土)
川根 紀夫さん
日本手話通訳士協会事務局長(千葉県)
◆全通研「介護保険制度における聴覚障害者の情報保障・コミュニケーション保障に関する調査研究報告書」のろう高齢者が必要とする支援とは?
…(略)…レジュメの34ページから36ページ。全通研がまとめた「介護保険制度における聴覚障害者の情報保障・コミュニケーション保障に関する調査研究報告書」の事業所調査の中でまとめられてた困難事例ケースをそこに載せてあるんだけど、こういうことがあるんだということを知って欲しい。これは介護保険ですから、ろう重複と言うよりろう高齢の人のこと。ろう高齢の人って言うのは、もともとのコミュニケーション手段があったり、生活の経験を持ってる人たち。経験の蓄積という面では、ろう重複とはちょっと違う。ただ、加齢による能力低下と言うことは起こってくる。ろう重複の人たちは、今も一日一日の経験がとっても大事な人たちと考えて欲しい。
こういう療養の課程における、通訳の負担と介入の場面、サービス提供の場面だと、もしかすると施設職員の代わりになってるかもしれない。本来は施設職員がやってることを通訳者がやってる。通訳だけしてて「車いすの移動です」って、その場にいて、「職員さん、おしっこで〜す。」って手を振るだけでやめてたら、きっと事業体から「冗談じゃないわよあの通訳」って言われるに決まってるよね。常識がないって見られちゃうよね。
◆的確な現状判断が求められる
「そんな車いす押すくらいいいじゃない」、これ、周りの人から見たら当たり前と見られちゃう。「私ら手話通訳ですから手を振ってるだけです。」って、やってたら通用しない。ものすごい反感を買うでしょうね。「私ら忙しい、それくらいやってくれたっていいじゃない。」と思われたら、もう手話通訳を頼まなくなるかもしれない。だってその人は今まであんまりものを言わなくて座っていてくれたのに、通訳来たらものを言う。余計手がかかるようになった。こっちも手がかかるのに、そっちまでやんなきゃならない。通訳がいるんだからせめて今までと同じにしてよ。それは普通に思う事じゃないですかね。
それを今度は通訳の側は、「なんちゅう常識のない施設だ」と思い始めていくと、共同なんて絶対できない。どうやってその人のサービス計画をよりいいものにするのかということを考えていこうとするのに、考えられなくなるよね。人間関係が悪くなっていく。
「通訳の言う事なんてどうせやっかいなことに決まってる。」「私らの負担ばっか増やそうとする。」そうしたらサービス計画っていうのは、その人のものにならない。それは通訳の側も利用者主体になってないからですよね。
的確な現状判断ができてないってことによって起こるわけですよね。今、そんなものの言い方したら浮いてしまう。こちらの言うことを聞いてもらえなくなる。でも、この人は、ここの施設を利用してて、金払ってるのに適切なサービスを受けることができない。施設の見直しを何とかしてもらわなければならないということに気付いたのに、見直しの道を閉ざすことになる。
◆チームでやれ! 共同の仕組みの必要性
そういうことがいいのかどうかということが、新たに問われてる。だから僕は、「チームでやれ」と言ってるんです。
こちら側で意識して克明に考えなければならないことは、自分たちの「相手」がいるって言うのは、ろうあ者だけじゃない。今度は「支援をする人たち」、司法場面で言うと弁護士みたいなもの、弁護士がずらっといるようなもの。事業体も本来はそういうものだけど、ただ理解がなかったり、コミュニケーション手段を持たないからそういう課題が出てくるだけで、本来的にはその人のケアワーカーが周りにいて、その人達と共同しなくちゃならない。で、共同の仕方を考えてみると、ろう重複の特性に合わせたニーズの引き出し方。それからろう重複の特性に合った経験の積み方を見通すということがいるんだという話をしてきました。
ただ、これが手話通訳という過程で現実的に可能なのかどうかというと、ぼくもちょっと自信がない。本当に手話通訳の仕事だって?と聞かれたら・・・。
◆生活支援は手話通訳で足るのか?
手話通訳だけで足るのかというと、どうもそうじゃないんだろうと思う。もっと地域生活だから、そういう人たちって、現実には銀行のキャッシュカードが使えない、キャッシュカードを使えるようにするための練習は誰がするのか?とか、買い物に行く時に、今日の献立を、今日なに食べたい?て話をして、こんなものがいい? じゃ、そのために必要な食材を買いに行こう、それどこに行こう?買い物に行ってお金を払って、お釣りをもらう。帰ってきて料理をする。料理をして食べて美味しかった、まずかった。そういうことが在宅生活でできることが大事なんですよね。
僕の住んでる千葉市は、今、特別養護老人ホームは公称100人待ちです。100人死んだら100番目の人が入れる。それから、地域で入所を希望する障害者の場合にも、待機者がいます。それから養護学校を卒業してくる人たちがいます。みんな待機してる。こりゃいくら施設作っても間に合わないぞと思うから、「在宅施策が重要だ」ということになった。施設だけよりもコスト安いし。でも、現実にはそうじゃなくて、キャッシュカードの使い方から電車のスイカ(プリペイドカード)の使い方とか、学校で学習できなかったら、社会に出て学習するよね。そういうことを一緒にやってくれる人。
それを社会参加促進事業の通訳でやるのか?より高度な技能を有する手話通訳士がやるのか?不可能ですよね、たぶん回らない。それを手話通訳の業務として入れているのかどうかは課題になる。
ちなみにまた全通研のでしゃくなんだけど、「共に豊かな暮らしを」(200円)の冊子、読んだ?
◆「手話通訳等支援事業実施要綱(案)」
「手話通訳等支援事業実施要綱(案)」というのがある。これ今の手話通訳事業の見直しをして、今度はこうしたらどうか?っていうことが書いてあります。夜の交流会に参加する人は、後ろに座ってる原田理事に聞いてみてください。
この事業の内容ですけど、”手話通訳等支援事業は、次に掲げる事業をいう。コミュニケーション支援及び情報提供に関すること。生活援助に関すること。手話通訳者の養成・研修に関すること。手話通訳者の派遣に関すること。社会資源の開発に関すること。その他。
こういうものがスタートすると、キャッシュカードから買い物から料理から、そういう生活支援を地域で暮らしながら支えていく人たちがたぶん登場するんだろうね。そういうイメージだよね?違う?ちょっと違う?わかんない?そこはまだまだ?要するに人が育ってねえって話だよね。
そういう人たちを、実は我々は作ってこなかったんだよね。通訳の実践技術というのはできていますけれども、通訳技術と翻訳技術というようになっていて、せいぜい他につなげたりする程度。
でも、具体的に、「この人キャッシュカードを使えたらお金をすぐそばでおろせて、もうちょっと楽になるのに…。」「これが使えないから、これをどうやって教えたらいいの?まあいいわ私ボランティアで教えるわ。」通訳業務とは切り離して、あるいはサークルの人に頼んで協力してもらうとか、いろんなことが起きたりするだろうけど…。
そういうことがキチンとできるような仕組みを、現実にろうあ者の方を見ていながら、作ってこなかったんだよね、僕らは。手話通訳を養成する過程でしか見てこなかったから、今限界にぶち当たっているだろうと思う。
◆介護を必要とする聞こえない人たちを支援するための新たな養成の仕組みを考えよう
介護を必要とする、支援を必要とする聞こえない人たちに何でもかんでも通訳でというのは無理だと分かっていながら、新たな養成の課程を考えてこなかった。
今で言うと、手話を習っていた人がヘルパーの資格を取って、ろうあ者の家庭に行くってあるでしょ。
だから奉仕員の養成事業を修了したら、「私は、ホームヘルパーの道へ行こう」という人があっていい。奉仕員の養成事業80時間ぐらいやってる間に、「あんたヘルパー向きやなぁ〜。とても手話通訳士の道は無理だと思う。ここであきらめてあんたの才能生かしてヘルパーでいったら」という人や、施設職員のコースに進もうとか、手話通訳士のコース行こうとか…。
私はこの奉仕員養成事業修了して地域のボランティアとして活躍しようって。要するにろうあ者の買い物のパートナー。「私が買い物に行く時はあの人と一緒に行こう、家近いから。」あるいは「お茶飲みに行こう」とか、そういう地域のパートナーとして生きるボランティア、その集合体がサークルだったりして…。
そういう仕組みを作ってこなかった責任が今一気に吹き出してきた。国がろくでもない制度を作ると…、とってもいい制度を作ると同時に、こういう課題への対応ができなかった。
◆本当に必要とする社会資源
社会資源がないから何とかしろよって言ったって、僕ら社会資源を作ってこなかったんだよね。本当は必要とする社会資源ってこれだなって、こうしたケースを見ながらそう思ってたんだろうなと思う。
でもそのことを具体的な形にする方向性を、僕らの責任として処理してこなかったと言うことが問われているだろうという風に思うわけです。
そういう意味では具体的なケースをどう整理するのか、ということにもう一度取りかかる必要があるだろうなと思います。
◆サービス評価について
もう一つだけ、明日の奥野先生の話と関連するところですが、明日はサービス評価です。サービス評価っていうのは、手話通訳事業も早く第三者評価基準を作れ、というのを奥野先生はこのレジュメを見る限りでは申しております。
義務だからです。苦情処理委員会は必ず立ち上げなければなりませんから、来年の4月に苦情処理委員会が立ち上がっていない手話通訳事業やってるところは委託を切られてもどうしようもないということです。これ義務です。事業体の義務です。
ただサービス評価は、やってるかやってないかということが問われるだけですし、事業体のステータスとしては、やっていた方がいいということです。なおかつ、高い評価が第三者から得られるようにやっといた方がいいということになります。
そういう意味で手話通訳事業に思い入れの強い奥野先生は、国のサービス評価の制度を作る時に委員としてやっておられたので、手話通訳事業も早くやれやれといわれるわけです。
このサービス評価は、自己点検があります。自分の通訳を評価する。だいたい90何項目にわたる項目があるはずですが、手話通訳者自身が自分のサービスの質の自己点検をしろというわけです。それは日常的に求められる。
事業体は事業体で自己点検。そして第三者が入って評価する。第三者が入って評価すると、今保育園なんかですと第三者に来てもらうと20万円かかりますが、20万円払って第三者評価の評価結果について公表する。全国公表。
何故そうするかというと、利用者はその情報を見て事業者を選ぶんだということ、それが明日もしかしたら起こるかもしれない。
手話通訳も、のほほんとしてられない。支援費でこれ大変だなと思うでしょ。
ほとんどやらない人もいるかもしれません。数は限られているから。
でも自由に使おうと思えば、ヘルパーなんかは相当な人達まで使える事業。使おうと思えばかなり広がる。そういう意味では掘り起こしをしながら行くというのはサービス評価にもつながるだろうと思います。