手話通訳者になるためのマメ知識06「インクルージョン」

インクルージョン

手話通訳問題研究第82号(2002/12/10発行)P20「福祉最前線」より

佐藤 正幸(独立行政法人 国立特殊教育総合研究所)
1 .インクルージョンとは?
 インクルージョンという言葉を英語で記すとinclusionとなる。これはinclusive((…を)含めて、(of);一切を込めた)からくるものであり、あらゆるものを包み込むという意味が含められている。このインクルージョンはカナダに始まり、北米を中心に広がりをみせた一つの理念であるが、ここでは、インクルージョンについて、インクルージョンが生まれた背景、その定義、聾教育におけるインクルージョンについて及びインテグレーションとの違いの面から記してみたいと思う。

2.インクルージョンが生まれた背景
 これまで、障害のある子どもに対する教育はSpecial Education またはEducation forExceptional Childrenといわれ日本では「特殊教育」という用語が使われてきた。そのため、障害ある子は特殊教育諸学校、障害のない子どもは通常の学校というように二元化され、障害のある子どもは特殊学級あるいは特殊教育諸学校に分離・隔離されるような形が取られていた。障害のある子どもの社会的自立などをみた場合、通常の社会からの隔離は適切でないと考えられた。そこで、考えられたのが統合(インテグレーション:integration)であり、障害のある子どもも障害のない子どもと同じような教育環境を設け、教育の機会の均等化を図るものであった。しかしながら、これは単に障害のある子どもを何の支援もしないまま、通常の学級にいれてしまうことになり、悪くいえば投げ捨て(ダンピング:dumping)という現象を引き起こしてしまったのである。その反省に従って、インクルージョンという新たな考え方が出された。

3.インテグレーションとインクルージョン
 この二者の共通しているところは、障害のある子もそうでない子も同じ場所で教育を受けるということである。これまで、障害のある子どもが本来ならば状況に応じて特殊教育諸学校に入学するところを通常の学校に入学することについて「インテグレーション」、日本語では「統合教育」という言葉が当たり前のように使われてきたが、ここで改めて整理しておく必要がある。
 そこで、英国マンチェスター大学の名誉教授であるPeter Mittlerは以下のように述べている。まず、インテグレーションとは、単に子どもたちを通常の学校にいれることを意味する。また、子どもたちは学校に適応することを強いられ、学校が子どもたちの大きな個人差に合わせて変わるという必要性は要求されないということである。すなわち、「特別なニーズは要求しません」ということが前提にあった
 一方、インクルージョンは、性、国籍、民族、母国語、社会的背景、学業成績、障害などからくる差異を歓迎し祝福するという価値体系に基づいている。これは子どもたちがいかに学習に参加できるか、地域社会(例えば子どもの居住する地域)から除外されずに生活できるかという課題に関わっており、場合によっては学校現場に留まらず、地域社会で子どもたちをささえていこうということまでが含まれる。さらに教育の現場においてはすべての教師がすべての子どもの教育に責任を持つということであり、通常の学級を担当している教師は障害のある子どもを教育しなくてもよいということではない。まさしくEducation forAll(万人のための教育)なのである。
 これら二者をろう教育一例としてみると次のようなことが挙げられる、すなわち、インテグレーションは、聴児と一緒のクラスで手話通訳あるいは特別の担当者つきで難聴児、聾児が学習する。しかし、授業を担当する学級担任は直接難聴児・聾児に対して特別の配慮と責任を持たない。インクルージョンは、聴児と一緒のクラスで難聴児・ろう児」が完全に対等の条件で学習し、クラス担任が直接彼らを指導し、彼らの責任を持つということになる。

4.聾教育におけるインクルージョンの問題点
 インテグレーションといわれていた時代に、通常の学校に聾児をいれることは、聾学校という聾児だけの学習環境ではなく聴児のいる学習環境で学ぶと言葉が増える、学習も遅れないという考え方に基づくものとされていた。そこで、聾学校は幼稚部のみ在学し、小学校から通常の学校に入学するケースが急増した時期があり、「本来ならば、聾学校に行くべきところを親の希望が強く、特別に校長が許可した」、「普通の子どもとして扱い、特別な配慮は一切しない」、「この学校に入って学業についてこられなければ即やめてもらう」など言われ、親子共々薄氷を踏む思いで通常の学校に入学してきた。しかしながら、通常の学校では聴児と同じ学習環境で授業などに参加できず、半ばクラスの「お客様」になってしまい、再び聾学校へUターンする例も少なくなかった。これは、学校現場に留まらず、社会そのものが障害のある人々を特別な存在としてみている状況からくるものとも考えられる。そこで、今後、聾教育におけるインクルージョンが推進されるためには、学校現場に留まらず、子どもたちが生活する社会全体を含めて責任を持って育てていこうという環境作りがまず必要とされる。
 近年、通常の学校に在籍する難聴児・聾児のためにパソコン要約筆記などの情報保障などの支援がなされるようになってきたが、多くが私的に行われており、これらの活動が行政などを巻き込んでなされなければ本当の意味でのインクルージョンは達成できないであろう。
(文献 山口薫訳「インクルージョン教育への道」東京大学出版会)

日本語版 サークル・オブ・インクルージョン」のホームページより

「インクルージョン」とは? (What's Inclusion?)

 これまでよく使われてきた「統合教育」integration が、障がいをもった子供達を「普通教育の場に入れる」、というその行為自体に焦点を当てていたのに対し、インクルージョンでは、真の意味での「参加」participationと「仲間としての受け入れ」membershipにその焦点を当てます。したがってインクルージョンでは、子供が十分に参加するために必要なサポートを提供したり、子供が持つニーズにあうように環境の中にちょっとした工夫を加えたりしながら、可能な限り一緒の場で、全ての子どもが仲間として、充実した生活を満喫できるように創造性豊かな取り組みが展開されます。


社団法人 日本知的障害福祉連盟のホームページより
 インクルージョン各々の個性を考慮しながら、協力・協調する教育方法であるとされています。ですから、障害児のみを対象としているわけではなく、困難を感じている全ての子どもに対して行われることになります。これによって、国連が提唱している「万人のための教育」が実現するわけです。特殊教育諸学校、特殊学級や通級指導教室には、教師と障害児しかいないわけですが、一方、普通学校の通常の学級には、「障害児」と言われる児童は呼ばれていないが、ただ「成績が悪い子」あるいは成績の差があるから当然として、顧みられない子どももいるわけです。これらの子ども達が常に一緒に授業を受け、各々の目標を実現できる学級経営があって、初めて「万人のための教育」:だれも見捨てない教育が一箇所でできることになります。この様式がインクルージョンといわれる形態です。

マメ知識メニューに戻る> <トップページに戻る