■茨城県手話通訳者養成講座・講義■

No 項 目 内  容
1. 日 時 平成16年06月26日(土)13:30〜16:00
2. 場 所 筑波技術短大 校舎棟 509号室
3. 対 象 2コース(応用)クラス受講生(一般参加あり)
4. テーマ 「手話通訳者として心がけていること」

5.原稿(案)

6月24日(木)現在

No 項 目 内  容 メモ
1. 結論 お世話から対人援助へ
 皆さん、こんにちは。谷和原村の木下です。私は2年前の平成14年度手話通訳者養成講座・実践コースの講師を担当していました。ですから皆さんとはちょうど入れ違いです。
 つくば会場の方は先週講座を見学させていただいたので、2度目ですが、水戸会場の方は恐らく初めてお会いする方がほとんどですね。
 今日私がお話しするテーマは「手話通訳者として心がけていること」です。




■受講生の求める「心がけ」■  受講生のみなさんの希望は、「登録試験合格のために心がけること」というテーマかもしれませんね。今は、一生懸命「手話通訳」できる技術を磨くのに必死で、実際の通訳現場にまで思いが及ばないのが正直なところでしょう。
 私も、今回の講義の内容を考える中で「皆さんがどんな『心がけ』を必要としているだろうか?」という点が最後まで上手くまとまりませんでした。2年前の受講生の顔を思い浮かべて、「当時、みんなに伝えきれなかったなぁ〜」と感じたことは何だっただろうか?とか考えてみました。あるいは、つくば会場の3人の様子を思い出して、「今、何か一つ足りないことを指摘するとしたら、どんなことがいいだろうか?」とか思案してみました。
 2年前は、実践課程を中心に担当していたので、実習との兼ね合いが大変で、もう現場で「ああせい、こおせい」といきなり強制するような状況になってしまいました。 もっと受講生に一人一人ゆっくり考えてもらった上で自分なりの「心がけ」を持って実習に立てれば良かったのですが、そんな余裕がありませんでした。
 先日のつくば会場の3人は、2コースが始まって3ヶ月ということで、まだ手を動かすのが精一杯という印象でした。きっともう少し実践的な学習が始まると、いろんなことを考えるようになり、パニックになったり、失敗して落ち込んだりして、その中から「心がけ」や「気持ちの持ちよう」について考えるようになるんだろうなぁ〜と思いました。
■想像力豊かな手話通訳者をめざそう■  今回、この講義の内容を考えるにあたって、アドバイスをいただいたろうの先輩から「想像力豊かな手話通訳者になって欲しい」というお話しをいただきました。
 「手話通訳者に求められる想像力」って分かりますか? それこそお一人お一人「想像力」を働かせてください。そして仲間同士で議論したり、もし分からなかったら先輩に質問したりして、思いを膨らませてください。そうすると今日の講義に対しても素朴な「疑問」を感じられるようになってくると思います。「果たして木下の言ってることは本当だろうか?」そんな疑問でもかまいませんので、あれこれ思いを巡らせながらこれから2時間お話しをお聞きいただけると良いと思います。
 最後に30分くらい質疑の時間をお願いしてありますので、受講生の皆さんは「必ず」一人1問質問できるように心の準備をしておいてください。文句でも結構です。「私はそんな話を聞きに来たんじゃない!」とか…。ただし、私の話及び私の経験・考えに関しての質問に限らせていただきます。「今日の手話通訳者の方はどんな心構えで臨みましたか?」等の質問はNG〔no good〕です。
 では、始めます。
●勉強中も、常に「通訳現場」に立った自分と目の前のろう者をイメージして考える。
■過去の講義内容■  2コースのこのテーマ「心がけ」あるいは「心構え」の講義は、これまで白澤さんと馬場さんが担当されて来ました。お二人をご存じですか?
 白澤さんは、「手話通訳」をテクニカル(技術的)な面を中心に分析してその心構えを話されました。白澤さんは「手話通訳」を専門的に研究されている方でもありますので、いわば手話通訳とは、いったいどんな”行為”なのかということに関する最先端の研究成果をお聞きする良いチャンスでもあったと思います。
 去年の馬場さんは、もう少し間口を広げて「手話通訳」を”業務(仕事)”と捉える観点から、「手話通訳」を行うにあたって発生する様々な問題に光を当てて、受講生もたくさんのことを考えさせられたと思います。たいへん盛りだくさんな内容で、手話通訳者として考えなければならないことがこんなにもたくさんあるのかと受講生もビビッたのではないかと思います。
 そして、今年私はもう少しメンタルな面からお話しをしてみたいと考えています。メンタル、つまり精神的とか心の持ちようとか、気持ちの問題に絞り込んでということです。「手話通訳者の心構え」は大げさなので、「私が心がけていること」というテーマにしていただきました。
講演タイトル
「手話通訳者として心がけていること」


■テーマを考える■  さて、皆さんは今、2コースということで、応用課程のテキストを使って勉強されていると思います。その第1講座は「通訳能力の向上」ということで、「話しのポイントをつかみましょう」となっているんです。
 1コースで1年間手話通訳の勉強をしてきて、さあ今年は応用・実践だからばんばん通訳練習やるぞぉ〜と思って来たら、いきなり「テープを聞いてその内容を伝えましょう。」ということで、なかなか手話をさせてもらえないんですね。
 1.声のシャドウイング、2.テーマをつける、3.要点を書き出してみる、4.要約文を作る、そしてやっと5.要約を手話で表現、なんですね。
 毎週、楽しく勉強できていますか?私が担当した年には、NHK教育テレビで夜の10時50分くらいからやってる『視点・論点』っていう10分間の番組を見て、要約を書いてきてくださいなんていう宿題をだしたりしてました。
 聞き取り表現通訳の第一歩は「聞くこと」なんですね。まずちゃんと「聞くことのできる力」をつけようというのが講座のねらいになっています。
 非常に地味な勉強なんですが、私は、聞き取り通訳の能力を測る場合には、「聞いて理解する力」が7割くらい占めるのではないかなと思います。それくらい重要なことだと考えています。
 実際の通訳にあたっては、これに「スピード」が要求されるわけですが、最初の頃は「じっくり聞いて自分なりに理解する」あるいは「自分が納得できるまで聞き込む」というトレーニングをやっておくと良いのではないかと考えています。
 手話通訳者の実践的な力としては、むしろスキミング(飛ばし読み)力というのでしょうか、ざっと聞いて大意をつかむ能力が必要とされると思います。「スキミング」というのは、最近はあまり良い意味で使われません(「磁気データを盗み取り,クレジット-カードなどを偽造する犯罪の手口」の意)が、話しのポイントをすくい取るという意味です。これが意外とできなかったりします。
 今日の私の話は、これから2時間話しますが、最後に「今日の私の話を一言で述べてください」って受講生の誰かを指名するかもしれません。その時に最後に話したことしか覚えてなかったなんてことのないように、ポイントをチェックし、頭の中で自分なりに整理(再構成)しながら聞いてくださいね。
<応用課程テキスト6頁提示>
■「お世話から対人援助へ」■  冗談はさておき、とりあえず今日の講義にテーマをつけてみました。
 「お世話から対人援助へ」
 「お世話」という手話はご存じのとおり、「開いた両手を、手のひら側を向かい合わせて前に出し、交互に上下させる」というヤツですね。
 その「お世話」の対象となる「ろう者」は、どこにいますか? このあたり?顔は?表情は?お世話をして「あげて」その聞こえない方は何を感じたか、どんな風に受け止めたか分かりますか?

 「対人援助」はどうしますか?「助ける」という手話で表現される方が多いでしょうか? 「親指を立てた左手こぶしを前に出し、後ろから前に押すように、開いた右手でポンポンと2度ほど左手こぶしを軽くたたく」という感じですね。
 「対人援助」の手話にある「左手こぶし」は誰でしょうか?聞こえない方ですよね。聞こえない方の体全体、存在全てを表していますよね。後ろから軽くたたいているのは?これが手話通訳者の「手」だと思います。手話通訳者は「手」は見えますが、体は見えませんね。ましてその「顔」は見えないんです。
 そして、「後ろから前に押すように」と言いましたが、逆に左手こぶしの側から言うと、「右手のサポートを受けて少し前に出る」という動きになると思います。つまり、聞こえない方が少しだけ前に出る、あるいは前に進む、こんな風に「対人援助」という言葉を理解すると、私が今日言いたいこと「お世話から対人援助へ」の意味がお分かりいただけると思います。
<板書>
 テーマ「お世話から対人援助へ」
■Who■  つまり、手話通訳というのは、「その人がどんな人か分からないまま、勝手にこうだろうと想像した「ろう者」を、一方的に『お世話をする』こと」ではないんですね。
 常にWhoを意識しながら、通訳活動に取り組むことがとても重要なのです。
 その人は「どんな人なのか」、その人は「どのようなことを必要としている人」なのか、その人は手話通訳を通してキチンと主体者(主人公)になれているか、を考えながら行動する必要があるのです。
<板書>
「6W1H」
1.誰(主体者)





■Why■  次は、Whyです。常に何故だろうか?ということを考えてください。
 Whyはいろいろな意味に捉えられると思いますが、まずは「何故手話通訳が必要なのだろうか?」目的ですね。学習教材を読むときにも、Whoを意識しながら、Why何のために通訳するのだろうということを考えながら練習をしてください。
 単なる耳の代わりですか?重要な情報収集の窓口としてですか?コミュニケーションの仲介だけでなくある程度援助も必要としていますか?むしろ援助・相談が中心ですか?
 この何故を考えているとその先には「手話通訳者の倫理」ということが見えてくると思います。
 自分は手話通訳者として「どのように振る舞うべきか」「どのような態度で現場に臨むべきなのか」を常に考える癖をつけることはとても大切ではないかと感じるのです。
 2コースでの勉強中も大いに「Why?」を考えてみてください。
2.目的(倫理)
■What■  3番目は、Whatです。これは聞き取り通訳なら音声言語を手話言語に置き換えることに決まってるじゃないか、と思いますか。
 例えば、聞こえない方が、「耳に聞こえてくるもの」を全てを通訳してくれ、と言ったらできますか?大変な情報量であることは、誰でもすぐに分かりますね。しかし、聞こえる人は、大量の音声情報の中から自分が必要とする情報だけを「聞き分けること」ができますね。手話通訳者はどうでしょう?
 目の前にいるろう者が「必要としている情報」をいつも意識できているでしょうか?例えば、部屋を借りたい聞こえない人と不動産屋さんへ行ったとします。向こう側のカウンターにも同じように部屋を探している聞こえる人がいて、そちらではどうやら3万9千円のところを負けてくれと交渉しているらしい。上手く聞こえないけれども、かなり粘っているらしい雰囲気が伝わってくる。ところが聞こえない人は、部屋を借りるのが初めてで緊張気味。不動産屋さんの話を神妙に聞いている。手話通訳者も不動産屋の手先みたいに、説得調で、「このあたりでこの値段は相場でしょう、うんうん」なんて勝手に頷いちゃってるかもしれません。
 この場にある通訳すべき「音声情報」はどこまでの範囲でしょうか?
 あるいは、ろうあ協会の講演会の部屋を借りるために役場に行ったら、廊下ですれ違った役場の職員が、新しくできた地区会館のことを話しているのが何となく聞こえてきた…。なんてことがあるかもしれません。
 私は、手話通訳者は周りの音声情報に対して常にアンテナを張り巡らせていることが、「必要な情報を、タイムリーに」聞こえない人に伝える技術の一つだと考えています。
 Whatは、通訳者の「想像力」次第で膨らんだり縮んだりするのです。
3.内容(技術)


白澤さん
●「情報感覚」
…あらゆる音情報の中から、今ろう者がどの情報を求めているかを判断する力

…今この情報が必要だと感じ取れる感受性

■When■
■Where■
 さらには、
When=いつ。今すぐ通訳すべきか、後から補足すべきなのか。いつから通訳するのか、いつまで通訳するのか。
Where=どこ。どこに立つのか、どこに座るのか。位置関係はここでいいのか。1カ所でいいのか、複数箇所必要なのか。このライティングで大丈夫なのか。音声はキチンと聞こえるのか。
  +
4.時間(期限)
5.場所(環境)



■byWhom■
■How■
 そして、最後に、誰が(by Whom)、どのように(How)サポートするのが一番適切なのかも考えてみてください。
 私がやるべきことなのか、やすらぎに返すべきことなのか。手話通訳者がやるべきなのか、相手方にやってもらわなければならないことなのか。あるいは聞こえない人自身が自分でやることが良いのか。

 このあたりについては、今日の講義の最後でもう一度触れたいと思います。昨年の馬場さんの講義でも最後の「通訳以外のプラスアルファ=相談・援助」のところで次のようなポイントを示されています。

 (1)通訳の状況や相手に応じて、
 (2)「通訳者」としてやるべきかことかどうか、
 (3)通訳者個人としてやってもよいかどうか、
の3つを考えながら取り組むべきであり、
 かつ、
手話通訳者は、
 (4)必要以上に「役立つ」人物になってはいけないし、
 (5)コミュニケーションの主体ではないことを肝に銘じて活動すべき、
という5項目をレジュメに書かれています。

 「すべきでないこと」を考え、実行するのは意外と難しいものです。

 それから、サポートの仕方(How)もいろいろ考えられると思いますから、必ずしも通訳者一人で抱え込むのではなく、様々なサポート手段や相談機関、福祉制度の活用や隣近所の支援、などあらゆる可能性を考えてみる姿勢が求められると思います。

 こういった6W1Hを常に考えながら、手話通訳に取り組む姿勢(心構え)が重要ではないかと考えています。
 今日の私の話は、この中でも手話通訳者にとって大切なのは、「Who(誰が主人公)?」なんだと言いたいわけです。
6.関係機関
7.手段




馬場さん
(1)通訳の状況や相手に応じて、
(2)「通訳者」としてやるべきかことかどうか、
(3)通訳者個人としてやってもよいかどうか、
の3つを考えながら取り組むべきであり、かつ、
手話通訳者は、
(4)必要以上に「役立つ」人物になってはいけないし、
(5)コミュニケーションの主体ではないことを肝に銘じて活動すべき、
■実践技術■  先ほど応用課程のテキストをご紹介しましたが、通訳者養成講座2コースの後半は、「実践課程」となっています。
 応用テキストの後ろの方に「講義編」があって、そこに手話通訳技術を3つに分けた図が載っていると思います。まず、1.手話通訳技術としての表現技術が一番目、2.手話通訳技術としての翻訳技術が二番目。そして最後に3.手話通訳実践技術となっています。
 「実践技術」という言葉、知ってましたか?
 「実践技術」というのは、ちょっと分かりにくい概念かと思いますが、「援助技術」のことだと整理されているようです。じゃ「援助技術」とは何なんだ?ということになって、やっぱりはっきりしないなぁ〜と感じますよね。
 「言語的な通訳、言語的なコミュニケーション仲介「以外」の人と人との関わりに対する支援に要する技術」という説明ではどうでしょうか?
 言葉の定義というのはとても大切なのですが、今日はとりあえず、「言語情報を通訳するだけでは十分に主体性を発揮できないろう者に対して自ら主人公となって判断・発言・実行できるよう支援する技術」という説明にしたいと思います。
<応用課程テキスト51頁図2「手話通訳者の能力・技術」提示>


■実践技術;
「言語情報を通訳するだけでは十分に主体性を発揮できないろう者に対して自ら主人公となって判断・発言・実行できるよう支援する技術」
■倫理と責務■  2コース後半では、この「実践技術」を学ぶことになりますが、カリキュラムにはその目的としてどんなことが書かれていると思いますか。
 「手話通訳者の倫理と具体的通訳場面での責務を理解する。」
ということが真っ先に掲げられているんです。
 「倫理」と「責務」ですよ。
 大変なとこに来ちゃったなって感じしますよねぇ〜。

 また、実践課程のテキストの「はじめに」では、「実習の留意点」ということが書かれています。
 ”(頭で理解できていても)現場での対応ができないこともあります。”とか
”実際に通訳現場に関わるわけですから、当然通訳者としての倫理や専門性も問われます。”と書いてあります。
 どうしますか? そんなこれから初めて手話通訳やるのに「倫理」だ「責務」だといわれてもなぁ〜とか、「専門性」て言われたら「そんな専門的な勉強してないしぃ〜」みたいな感じになっちゃいますか?

 手話の読み取りだってまだまだだし、手話表現もやっとなのに…と思われるかもしれませんが、私はこの「倫理」や「責務」を意識して勉強していくことが、読み取りや手話表現の上達にも大きな関わりがあるのではないかなと考えているのです。
「手話奉仕員及び手話通訳者の養成カリキュラム等について」H10(1998)年7月24日)厚生省保健福祉部企画課長通知

<実践課程テキスト3頁「はじめに」、4頁もくじ提示>

<板書>
「倫理と責務」
「倫理や専門性」
■倫理=信頼■  それは「倫理」=「信頼」ということだと思うのです。
 「信頼」って誰の信頼ですか?
 聞こえない人や社会からの信頼ということだと思います。
 また、「専門性」というのは、単なる知識の深さの問題だけではなく、「継続的に努力してきたこと」が認められるという意味ではないでしょうか。
 皆さんは、今、「手話」の勉強ではなく、「手話通訳」の勉強をしているのです。
 これまでの単なる「手話」の勉強は、極端な話し、NHKテレビを見て一人で覚えることもできます。まあ、それを「手話」と呼べるかどうかという問題は置いておいて、ビデオ等でも学べます。
 しかし「手話通訳」はろう者の存在があって初めて成立する仕事ですから、ろう者なしでは勉強し得ないんですね。それも「ろう者の信頼」があって初めて「手話通訳」の勉強が成り立つと言えますよね、「聞こえない人から信頼のない手話通訳者」っておかしいでしょう。
 逆に言いますと、ろう者のことを何も知らずに、何らかの「手話」を覚えただけの人は「通訳」できるわけがない、それは「通訳」とは呼べないということになります。
 ろう者の信頼を得られるよう自分を磨き上げることも2コースの重要な学習項目なわけです。このことをどうかしっかり肝に銘じてこれからの学習に取り組んでください。
<板書>
倫理=信頼
 ここまでが、話しの一区切りです。
 どうですか?頭に何が残っていますか?
 ポイントは何だったでしょうか?
 早くも「どうも自分が聞きたかった話と違うようだ」なんて考えている人もいるかもしれません。
〜30分(14:00)
■本日のメニュー■  さて、今、テーマを書きましたが、予め今日の話しの流れをお話ししておきたいと思います。
 いわゆる起承転結という話しの流れがありますが、先日読みました本に「最初に結論を述べ、それから話しを起承転と進めてもう一度結に戻るという話し方が良い」とありました。
 その本のタイトルは「その日本語、通じていますか?」という手話通訳者にとって恐ろしい題が付いています。柴田武という言語学の先生が書かれた本です。
 私は手話通訳者は、普段から「キチンと結論や判断を明示した話し方をする」「予め話すポイントを整理して順序立てて相手に分かりやすく話す」トレーニングをすべきだと考えています。
 私はよく「で、結局何が言いたいわけ、結論を最初に言ってくれる」と発言して、後輩に煙たがられているのですが、少なくとも「言いたいことが明確になっているのか、まだ結論がまとまってないのか」最初に言ってから発言して欲しいと考えています。
 自分が言いたいことは何なのか?を強く意識することはとても大切だと思います。なぜならば、手話通訳という仕事は、読み取った結果「ろう者が言いたいことは何なのか?」というメッセージをキチンと相手に伝える「責務」(役割)があるからです。

 そんなこともあって、私もこの本を見習って、最初に結論をお話ししたわけです。一言で言えば、「倫理をもって信頼を得る」とネーミングしてみました。
 このテーマに基づいて今日は3つのお話しをします。
 最初の「起」が「手話通訳技術の基本は読み取りです。ろう者の発言・主張を正確に受け止め、適切に相手や周りの人に伝えることこそ手話通訳者の使命だ。」というお話しです。
 2番目のお話し「承」は、「自己評価できる”ろう者の眼”を持とう」というお話し。
 そして3番目にちょっと耳慣れない言葉かもしれませんが「観察技術」というお話しをする予定です。
<板書>
「その日本語、通じていますか?」
柴田 武著
角川oneテーマ21
700円


<板書>
結→倫理をもって信頼を得る
起→読取りが基本
承→自己評価
転→観察技術
結→ろう者が主体。一方的なお世話でなく、適切な援助


<参考>
「『超』文章法」
野口悠紀雄著
中公新書819円

2.  さて、実は、今回の講義で話す内容を考えるために、あれこれ本や資料を読み直しました。

 最初に思いついたのが、これです。「手話通訳のあり方・動き方」

 受講生の皆さんは、東京の市川恵美子さんっていう手話通訳者をご存じですか? 昔から「東京の『3I(スリー・アイ)』って、市川、石川、石原という3人の有名な手話通訳者がおられて、そのお一人です。
 先日、茨通研の総会に石川芳郎さんがいらっしゃって講演されたのでお話しを聞かれた方も多いと思います。私は手話を始めた頃から石川さんからいろんなことを教わってきまして、大変尊敬している大先輩です。かなりとぼけたオッサンという印象だと思いますが…、東京都の心身障害者センターの職員さんでずっと聴覚障害者相談をされてて、何年か前に多摩支所に異動されましたが、福祉問題・制度に大変詳しい方です。
 石原茂樹さんは、NHK「みんなの手話」の初代講師でしたので、皆さんよくご存じかと思います。前の日本手話通訳士協会の会長で、今は、聴力障害者情報文化センターの所長をされています。石原さんのお書きになった「手話通訳技術における『観察技術』についての基本的な考察」という論文をあとでご紹介します。
 そして、市川さんは通訳者研修会でやすらぎにいらしたこともありますよね。先日の全通研(全国手話通訳問題研究会)の代議員会で新しい運営委員長に選出されたそうです。全通研は長いこと伊東雋祐さんという神様みたいな手話通訳者が代表だったんですが、ついに世代交代と言うことで市川恵美子さんに変わられたようです。誤解を招かないように補足しますが、「神様みたい」というのは「偉い」という意味ではなくて「全身全霊を聞こえない人の権利獲得に注ぎ込んだ方」という意味です。

 わざわざ3人のお名前をご紹介したのは、やっぱりこの3人の方のお話しや書かれたものはとても勉強になると思うからです。皆さんもこれらの方の講演とかあったときは、是非お話しを聞きに行かれると良いと思います。
●「手話通訳のあり方・動き方」(part1、part2)市川恵美子さん
(全通研東京支部・理論講座)提示



■手話通訳に求められる専門性■  さて、その市川さんが全通研の東京支部の理論講座という勉強会で話しをされたものがこちらの冊子です。第1部が「手話通訳の技術とは」ということになってて、第1章は「手話通訳に求められる専門性」です。
 出ましたね「専門性」です。
 市川さんは、”理念としての手話通訳論は伊東論文と安藤・高田論文で完成している”っていうんですね。そして、1997年5月に日本手話通訳士協会が制定した『手話通訳士倫理綱領』もこの2つの論文がベースになっているとおっしゃってます。

 みなさん読んだことありますか。1.伊東論文、2.安高論文、3.倫理綱領の3つです。この3つを読み込めば「手話通訳の理念」は全て書かれているといわれるのです。
 今日は、事務局にお願いして、その3つのプリントを配っていただきました。字が細かくてちょっと読みにくいのと、文字の変換ミスが数カ所あって申し訳ないのですが、我慢してください。
<板書>
 「手話通訳に求められる専門性」

 伊東論文「通訳論」(1968年7月)


■手話通訳活動はろうあ者がする発言や主張の原動力■  まず、伊東論文というのは先ほどの伊東雋祐さんが1968年に書かれたものです。この36年も前に伊東さんが書いた「通訳論」にこう書かれています。

 「通訳活動こそは、対話や会議内容の即時的伝達路であり、ろうあ者がする発言や主張の原動力である。」

 「ろうあ者がする発言や主張の原動力である。」って、皆さん、どう思いますか?
 ”発言の原動力”って、ずっしり重みのある言葉だと思いませんか。
 私は、この文章を読んで、「自分はこれまで読み取り通訳をするときに、ろうあ者の発言を力強く伝えられてただろうか?」「私の声がろう者のエネルギーを減退させてしまってはいなかっただろうか?」と考えました。そういえば以前、ろうの弁護士田門さんが、藤代町に講演にいらしたときに読み取り通訳を担当したことがありました。
 その時の反省で、曽我さんから「今日はどうしたの?体調悪かったの?木下さんの声はくぐもってしまって会場に届いてなかった」と言われました。
 実は当時講習会で教えていた受講生が大勢聞きに来ていて、「受講生の前だから失敗できないぞ」という気持ちがあったのだと思います。
 でも、私が一番考えなければならなかったのは、受講生のことではなく、はるばる東京からいらしていただいた田門さんが伝えようとしたこと、すなわち「聞こえないとはどういうことなのか、ろうの弁護士である自分にとっての手話通訳者の役割や求めていること」などを聴衆に訴えることだったのです。
 私は失敗を恐れるあまり、極めて逐語的な読み取りをし、早口でしゃべりました。もちろん田門さん自身の当日の手話が音声対応だったこともありますが、私の読み取りの声は田門さんの気持ちを忘れてしまった「聞く人の心に届かない」声だったのだと思います。
 また、茨城県ろう者大会の読み取りをした時には、白澤さんから「ちょっと滑舌が悪かくて聞き取りにくかった。」という指摘をもらいました。
 このときは、一緒に担当した仲間の通訳者のフォローを頑張らなきゃと思うあまり、自分の通訳がアタフタとしたものになってしまいました。心にゆとりがなかったのですね。大切な大会の通訳の声が威厳のない慌てふためいたものになってしまっていたのです。
<板書>
「通訳活動こそは、対話や会議内容の即時的伝達路であり、ろうあ者がする発言や主張の原動力である。」




■手話通訳の基本的な機能は、まず聴覚障害者の発言権の保障■  「ろう者の発言や主張の原動力である」という言葉には、今お話しした声に関するものばかりでなく、会議や交渉の場面でろう者が発言する時の手話通訳を想像すればもっと大切なことが見えてきます。

 例えば、ろう者が行政に対して抗議をしている時に、読み取り通訳が上手く読み取れなくて言い淀んでしまったら、相手はどのように感じるでしょうか。当然、相手は、ろう者の発言を軽視しがちになるでしょうし、場合によっては抗議が抗議にならず意味不明なものになってしまいます。

 全通研の事務局長をやってる京都の近藤幸一さんという人がいます。
この方が、全日ろう連出版局が作った「手話通訳の理論と実践」という本の中でこんな風に解説されています。

 「手話通訳の基本的な機能は、まず聴覚障害者の発言権の保障にあります。」

 昔、読み取り通訳のことを「逆通訳」って呼んでたんです。聞いて手を動かすのが「手話通訳」、そして「聞こえない人の手話を見て日本語に訳す」のが「逆通訳」という言い方をしていたんです。近藤さんは、「日本語を通訳することによって、情報を一方的に聴覚障害者に”提供する”のが、通訳の本来的機能だとする倒錯した手話通訳観がある」と異論を唱えられたのです。読み取り通訳こそが、手話通訳の基本的機能なのに「逆通訳」とは何事か!と主張されたのです。
●「手話通訳の理論と実践」(全日ろう連出版局)1998
第4章 手話通訳理念と業務(石原茂樹)
第5章 手話通訳と手話通訳実践(近藤幸一)

<板書>
「手話通訳の基本的な機能は、まず聴覚障害者の発言権の保障にあります。」
「日本語を通訳することによって、情報を一方的に聴覚障害者に”提供する”のが、通訳の本来的機能だとする倒錯した手話通訳観がある」
■読み取りが基本■  皆さんはどのように感じられるでしょうか。私は、何か自分が恥ずかしくなるような気がしました。自分の中に「ろう者の手話を聞こえる人が読み取れないのは仕方ない。」という甘えた気持ちがあったように思います。また、実際に私が手話の勉強を始めた頃は、今でいう日本手話のことを「伝統的手話」と呼んでいて、「伝統的手話は聞こえない人どおしの会話で使う手話」なんて認識で手話が教えられていました。そして、聞こえる人は「中間型手話」なるものを教え、学んでいました。何と何との「中間」かというと「伝統的手話」と「同時法的手話」といって今で言う日本語対応手話との中間という意味で使っていました。

 今でも自分の表現する手話はこの「中間型手話」からなかなか抜け出せずにいると感じています。

 やはり、「読み取りが基本」という考え方は、手話を学ぶファーストステップからキチンと位置づけられなければならないのではないでしょうか。
 最初から、ろう者の手話をありのまま受け入れるのだというスタンスで手話を学んでいけば、自ずと「聞こえない人によって様々な手話表現がある」ということも当たり前のこととして勉強されますし、それがイコール「ろう文化」に触れる最初のチャンスともなるわけです。

 そして通訳者養成のカリキュラムの中でも、「読み取り」の基本的学習をもっと深めないといけないのではないかと感じています。

 手を動かすことよりも、「眼を鍛える」こと、そして何よりも、聞こえない人たちの思いにまず面と向かっていくこと、さらには、ろう者の願いに寄り添えるような、心構えを身につけることが大切だと思うのです。

 この「聞こえない人たちの思い」は、堅い言葉で言えば、思想とか文化というものだと思いますし、「寄り添う」というのは、一方的に教えてもらうとか、こっそり盗み取るというのではなく、「隣りに座って、同じ空間の中で、ろうの世界を肌で感じる」ことではないでしょうか。
■読み取れないことを素直に言える関係を■  僕は、普段ほとんど手話をしないので、久しぶりに聞こえない人に会うと、さっぱり手話が読めないことがあります。そうした時には、ひたすら黙って手話でのやりとりを見ています。1時間も経つとようやく「ろうの世界」の感覚になじんでくるのですね。
 もちろん手話通訳者はこんな悠長なことは言ってられませんので、キチンと1時間前からエンジンを温めて、最初からいきなり「手話の頭」で通訳に入らなければなりません。

 でも、普通の集まりなら、むしろ僕は「読み取れない」ことを素直にろう者に言えるような関係が素敵じゃないかと考えています。ちょっと手話通訳をかじると案外「分からない、読み取れない」と言えなくなってしまう場合があります。これって、本末転倒ですよね。
 手話通訳者だからこそ、分からないときには、「読み取れなかった、申し訳ないけどもう一度お願い」とろう者に頭を下げられる通訳者でありたいと思います。
 もちろん、何度も質問していては、ろう者からの信頼が地に落ちてしまうのは明らかです。でも、それが自分の実力なんです。

 僕は茨城に越してきて以来、日常的に聞こえない方と会う機会がなくなってしまったので、エンジンが温まらないどころではなくて、さびが出てギシギシ音を立てています。久しぶりに会っていきなり「読めない」というのはとても勇気のいることで、つい言いそびれてしまって、ろう者の手話が読み取れなくても、ニコニコしながら生返事してしまいがちです。そして自己嫌悪に落ち込むわけです。
■読み取れないものを表現できるわけがないを■  昔、市川さんから「読み取りが苦手だなんて、ウソ。読み取れないものを表現できるわけがないのだから、読めない人は表現はもっとダメなのよ。」と厳しく指摘されたことがあります。
 また、手話を始めたばかりの頃、去年亡くなられた貞広先生に手話を教わっていて、「口話を読もうと思って口元を見ていると手話が読めません」と質問したら、あっさり「それは読み取りの力がないからだ。読めるというのは、口話を見ていても、周りの視界の中にある手話を見て意味をつかむことができるものだ。」と教えてもらったことがあります。当時は、「そんなこと言ってもなあ〜」とふてくされてましたが…。

 受講生の皆さんも、もう一度ご自分の手話の力を振り返って、「読み取り通訳こそが、手話通訳の一番の基本的機能なんだ。」ということを十分にかみしめていただけたらいいなと思っています。
 そして、そのための鍛錬をこれまで以上に積んでいただきたいと思います。一昨年の白澤さんの講義で「良い手話通訳者になる8ヵ条」というのが披露されました。その中に「ろう者が自然に話している手話ビデオを100回以上見ること」と「ろう者と共に通訳について議論する時間を100回以上持つこと」という項目があります。
 今から卒業までにどれくらい実行できるでしょうか?

 聞き取り通訳は「音」があれば、あるいは「書かれた日本語」があれば、どこでもできます。でも「読み取り」は、聞こえない人抜きには勉強できませんね。『読み取り通訳が基本』なんだという姿勢を自分のものにできれば「常に聞こえない仲間たちと伸びていく」自分が実感できるではずです。皆さん大いに勉強しましょう。
「良い手話通訳者になる8ヵ条」
1.自分のビデオ×100回見る
2.通訳の反省×100回書く
3.ろう者の会話ビデオ×100回見る
4.ろう者と共に通訳について議論×100回
5.眠れない夜×100回
6.上手い通訳×100回見る
7.率直な意見を言ってくれる仲間×100人
8.通訳抜きでつきあえるろうの友人×100人
※正確には全て「100以上」です。
3.

■自己
評価■
 さて、前半は、どんな話しでしたっけ?
 前に出てきて発表しますか?
 後半は2つのことをお話しします。「自己評価」と「観察技術」です。

 今回、手話通訳士の仲間たちに「通訳者養成で『心がけ』の講義やるんだけど、どんなこと話したらいいかな?」とメールでお願いをしました。
 また、去年この講義では、つくば市の馬場さんが「手話通訳の理念と仕事」というタイトルで講義をされてましたので、そのレジュメをメールで送ってもらって読んで、「(内容濃くて)すご過ぎる…」と驚いたりしてました。
 
 それから、一昨年は、筑波技術短大の白澤麻弓さんが講義をされまして、そのレジュメもメールしてもらいました。まっ、白澤さんのような専門的なお話しは、僕にはできないことが最初から分かっておりましたので、「私自身の勉強として」読ませていただきました。でも、全30枚もあって読むだけで大変でした。

 そうそう、馬場さんのパワーポイントは58枚もあって、大変メゲました。
14:30〜14:40
休憩
14:45〜






玉虫色ボラ

■嫌な通訳■
 じゃあ、木下は何を話したらいいかなぁ〜といろいろ考えておりましたら、茨城町の白井久美子さんからメールもらいまして。「北海道の渋谷さんという方が、「こうなってはいけないボラ」のようなタイトル で、 さまざまなタイプのボラを紹介していた資料を見たことがある。」とのこと。

お詫び・・・当初この部分は、
北海道には『玉虫色ボランティア』っているそうよぉ〜!」というお話しを教えてもらいました。「『やってやるボラ』とか『自己満足ボラ』とかいるみたいよ〜ん。」とのことでした。「う〜ん、僕が手話通訳を目指して学んでいる人たちに『こういう通訳だけにはなるなよ』って感じていることと近いかなぁ〜」と思いました。
と書きました。これは私(木下)が白井さんのお話を間違って受け止めてしまったものです。講演後すぐにご指摘をいただいたのですが、このあとほとんど更新作業をサボっていたために、すっかり忘れていました。白井さん並びに渋谷さん、そして北海道の皆様本当にごめんなさい。私も特に「北海道にいる」という受け止めではなかったのですが、確かにそう読める文章で大変反省しています。申し訳ありませんでした。)


 2年前に、この手話通訳者養成講座実践コースの講師を担当していた時にも、「嫌な(嫌いな)手話通訳者」というテーマでろう講師が話しをしてくれたことがありました。

 私たちは、みんな「良かれ」と思ってやってると思いますし、少なくとも茨城にはプロの手話通訳者はいませんから、程度の差はあってもみんなボランティアなんですね。ですから、自分としては「自発的に」「善意に基づいて」手話通訳に立っているわけです。

 どこまでが「善意」でどこからが「自己満足」か?って実は簡単には区別できない面ってあると思います。聞こえる人の「モチベーション(やる気)」を支えるのは、お金ではなくて「やりがい」ですから、どうしても「精一杯やってあげたい」という気持ちになるのはやむを得ないと思います。

 でも、あくまでもそれを評価するのは「ろう者」なんだということを忘れてはいけないんですね。「ろう者が必要としていること」を見極める力がとても大切なわけです。

 さらに、もう一歩進めて、「ろう者が主体性を最大限発揮できる」ためには「何をしない方がいいか」という視点をもつことが、必要ではないかと私は思うのです。
<板書>
●やってやるボラ
●自己満足ボラ

→「嫌な手話通訳」
=身近なろう者に尋ねてみては?
■チェックポイント1「でしゃばり・お節介」■  そうすると自己評価のチェックポイントの第1は、「出しゃばり・お節介」あたりになるのかなぁ〜などと思ったりしています。

 最初にお話ししたように、手話通訳は「お世話」ではないのです。Howのところで馬場さんのレジュメをご紹介しましたが、もう一度書き出してみましょう。
 (1)通訳の状況や相手に応じて、
 (2)「通訳者」としてやるべきかことかどうか、
 (3)通訳者個人としてやってもよいかどうか、
の3つを考えながら手話通訳に取り組むべきであり、かつ、手話通訳者は、
 (4)必要以上に「役立つ」人物になってはいけないし、
 (5)コミュニケーションの主体ではないことを肝に銘じて活動すべき、
ということでしたね。
 何をすべきで、何をすべきではないのかをいつも冷静に判断して、ろう者の主体性がより発揮できる方向で、最低限必要なサポートをすべきだということだと思います。

 もちろん聞こえない人の中には援助を必要としている方もいらっしゃいます。しかし、そのような場合でも、僕は、安易に手を貸すのでなく、その方の持っている力を少しでも引き出せるような姿勢で接することが大切だと思うのです。
<板書>
チェックポイント1
「でしゃばり・お節介」
■チェックポイント2「いつも同じ物差しで客観的に評価できていますか?」■  2つ目は、今の話しと逆になりますが、自分の評価を自分の都合の良いように下げたり上げたりしないということを挙げたいと思います。

 どういうことかといいますと、例えば、今日の私の話を聞いて「なるほどぉ〜。すごーい、すごーい。でも私にはムリ」で終わってしまってはいないだろうか?ということです。

 自分をキチンと評価できていますか。いつも同じものさしで自分を評価できていますか、ということです。

 これは「手話通訳の評価過程」といことに結びつく問題ではないかなと考えています。手話通訳者が、自分の手話通訳結果を冷静に、公平に、客観的に評価できる力を身につけることは、とても大切なことでありながら、どうも僕らはこの「評価」があまり得意ではないのですね。

 例えば、自己評価が下がりそうになると、評価基準の方を自分の都合のいいように下げてしまうようなことありませんか。
 内容が難しかったり、ろう者の手話を上手く読み取れなかったりした時に、「私はまだボランティアだから…」とか「私は登録になったばっかりだから…」とか「まだ士じゃないから」とか「専任通訳者のようにはなかなかいかないですよ」などと言い訳して、自己評価はいつも「まあ、ボチボチでんな」で終わってします。あるいは、私はよくこういう失敗を犯すのですが、準備不足だったのを「お久しぶりだったものですから」で誤魔化しちゃいけないし、練習不足を「頭かいた」だけで済ませてはいけないですよね。

 それから「頑張ってます」っていうのも全然違う物差しで測ってしまっていると思うのです。頑張っているのは分かる、でも、どこが足りなくて、どこをどう勉強すればよりよい通訳ができるようになるのか、常に客観的に自己評価し、自分にふさわしいトレーニングをする必要があると思うのです。










<板書>
 「手話通訳の評価過程」





■チェックポイント3「仲間同士で相互評価」■  これはなかなか自分一人では難しいかもしれません。そこで3番目に「相互評価」ということを提案したいと思います。

 「自分のことはさておいて、あなたの手話表現はここをもっとこう変えたらいい」とはなかなかいいにくいのは確かです。でも、そこをあえて言ってあげることが、仲間というものだと思いますし、それは自分にも返ってくるものだと思うのです。

 先日、「おはよう茨城」の手話通訳のビデオ収録がありました。その時にサブを担当してくれた後輩が、「ここからここまでは手話をやらない方がいいんじゃないですか」という指摘をしてくれました。自分で考えて準備し練習していった手話表現を本番で変更するのは、実はけっこう大変なんですね。精神的にも負担が大きい。でも、そういう時ほど、客観的に見て言ってもらった評価の方が正しいのです。

 自分ではあれこれ工夫して練習もして本番に臨んでも、カメラに写ってテレビ画面と見比べて、「それじゃあごちゃごちゃして通じにくいですね」と言われたら、まずその通りにやってみるんです。

 時にはちょっとムッとしちゃう場合もあるんです。「ここが僕の今日の一番工夫したところなのにぃ〜」みたいに。でも、手話ってフィードバックが難しいですよね。仲間の目を信頼することが大切なんです。

 自分がやってる手話を、すぐに自分でチェックするにはビデオカメラに録って見る以外にない。「おはよう茨城」の時には、余裕があればそこまでやります。テレビの横に立って手話表現して、ビデオカメラで撮って、それを自分でチェックするんです。

 でも、通常の勉強なら仲間同士でもっとフランクに言い合える雰囲気を作っていくことで、ずっと良い学習環境を整えていけると思うのです。お互いの手話通訳についてもっともっと意見を言い合いましょう。

 つまり、3番目のチェックポイントは、「仲間の眼差しでチェック」ということです。そういうことを習慣づけると、例えば、私だったら「曽我さんだったら、どう表現するかな?どう考えるかな?」みたいな発想が生まれるようになるんです。自分の中に自分以外の眼を持つというのは、自分にとっても意外と安心感というか自信を持てるようになります。
●仲間同士「相互評価できる」学習環境を作っていこう。
→ 「手話通訳仲間や先輩の視線で」自己評価
■チェックポイント4「お持ち帰りできたかどうか」■  さて、次は私のアイデアではなくて、やすらぎの猿田さんに教わったチェックポイントです。今回の講義にあたっては、聞こえない方にも何人かご意見をいただきました。 もっと大勢のろう者の意見を聞かなきゃいけなかったなぁ〜と反省しているのですが、それでも大変貴重なご意見をいただきました。

 それは「ろう者が、その日の通訳内容について感想をおしゃべりしながら帰っていったら、その日の通訳は上手くいった証拠」だということなのです。これを私は、「お持ち帰りできたかチェック」とネーミングしてみました。

 最初に「手話通訳はろう者がする発言や主張の原動力」という伊東先生の言葉を紹介しましたが、ろう者のおしゃべりは「感想を持てるだけの情報が伝わった証」なんですね。もちろん、いつも帰りのろう者の会話を盗み見なさいといってるわけではないんですが…。

●猿田さん
・ろう者が、その日の通訳内容について感想をおしゃべりしながら帰っていったら、その日の通訳は上手くいった証拠
■チェックポイント5「謝るのではなく、フォローすべき点の確認」■  よく、通訳の後、「今日の手話通訳どうでした?通じましたか?」とろう者に聞きたくなりますよね。実は、このように聞かれることを「手話通訳者として失格だ」と厳しく言われる聞こえない方もいます。それは、「自分の通訳が通じていたかどうか、そんなことも分からずに漫然と手話通訳していたのか?」という考えなんです。
 「○○のところ、ちょっと上手くついて行けなくて、これこれこういう説明が漏れました。」とか補足しなければならないことはあっても、「通じていたかどうか」がそもそも分からないようではダメだということです。厳しいですね。講演会など複数のろう者がいるときには、当然、人によって通じ易さにばらつきが生じると思いますが、その場合でも、その人それぞれにあったフォローをすることがむしろ大切なんですね。

 猿田さんからは、「上手く通訳できなくて、すみません」は禁句だ!というお話しもいただきました。同じことだと思います。上手かったか下手だったかを判断するのは聞こえない人なんですね。通訳者がしなければならないことは、謝ることではなくて、伝え漏れた情報があった場合のフォローや次へつなぐ取り組みなんです。
 
●猿田さん
・「上手く通訳できなくて、すみません」は禁句
→判断するのは、ろう者
 実際の「手話通訳の評価過程」というのは、もっといろいろな内容を含んでいるのですが、今日は、受講生の皆さんに対するお話しですので、身近な範囲での評価のお話しをしました。

 さらに勉強したい方は、「手話通訳の理論と実践」の第5章「手話通訳と手話通訳実践」など読まれると良いと思います。ただ、この本、絶版なんですよね。是非という方にはコピーを差し上げます。

 以上が2つめの話し「自己評価」でした。
 
4.
■「見極める力」と「気づく眼」■
 3つ目のお話しは、市川さんが手話通訳実践技術として書かれている「評価能力」についてです。今度は、自分のことではなくて、手話通訳の対象となるろう者の「評価」です。
 この話しを聞いたときに、ろう者から「聞こえない人を良い、悪いとか、力がある、力がない」と評価するのはおかしい、という批判があったそうです。
 でも、そうではないと市川さんは言われます。「この人はどのような力があって、どういう援助をすれば良いのか、この人はもともとこういう力があるが、今、こういう状況だからどういった援助が必要なのか」ということを見極めて実践技術に反映させていかなければならないと言われています。

 さっきお話した馬場さんの5項目の裏返しみたいなことですね。

 市川さんは、手話通訳の現場で、「どういう援助を組み立てていくのかということ、いつまでその援助をしていくのかという見極めの力です。」とおっしゃっています。
 そして、「手話通訳をしたとき、援助をしたとき、なぜしたのかということが自分で整理されていないとだめなのです。」と言うのです。

 どういうことでしょうか?

 僕はここ読んで、聞こえない方のニーズを見極めるということは、先ほどもお話ししました「必要としていないこと」は何なのか?をキチンと整理できることだと感じました。あるいは、「あえてしない、手を出さない方がいいことは何か」を理解することだと思うのです。

 そのうえで、「手話にならない要求」「手話にならない思い」「手話にならない訴え」に「気づく眼」を育てていくことが大切だと考えています。
<板書>
「見極める力」と「気づく眼」
■観察技術■  ここで、石原さんの「観察技術」に関する論文をご紹介したいと思います。
 石原さんは、全通研の「手話通訳活動を考える」講座の議論を通して「熟達した手話通訳者・士」の観点と、「経験年数の少ない手話通訳者」の観点に相違があることに気づいたそうです。
 ベテランの通訳者には、「聴覚障害者のAさんには日本語どおりの手話通訳でいい」けれど、「Bさんの場合には、ことばもBさんに分かりやすい言葉に置換し、言葉のやりとりのみでなく、周囲の人たちがどう考えているのかなどの情報も、適宜、伝達していかなければならない。」という判断があったのですが、これらは「経験則」でしかなく、なぜ、そうした方がいいのかという整理がされてこなかったそうです。
 この問題に対して、京都の近藤幸一さんが、「言葉の置換」と「コミュニケーション援助」を対比させて、「言葉の置換」に重きを置くAさんと、「コミュニケーション援助」をより多く必要としているBさんという整理をされ、石原さんは、この「コミュニケーション状況を見極める力」が重要なキーになっていることを主張されているのです。
 通常、このコミュニケーション状況の見極めは、ろう者との雑談のなかで把握される(「待合室効果」)のですが、その際に、初期の手話通訳者が陥るうっかりミスに質問文を「誘導尋問」にしてしまう傾向があると指摘されています。
 本来、「どうしてですか?」「ナゼなんですか?」と質問すべき場面で、手話通訳者の判断に基づく「Aですか、Bですか?」というyes−no疑問文に置き換えてしまう。そしてそれは、手話通訳者がろう者の力を「yes−no疑問文」でないと答えられないだろうという予見(勝手な判断)をもって接しているから起こるパターナリズムだと書かれているのです。
●「手話通訳技術における『観察技術』についての基本的な考察」
 石原茂樹さん
(第1回日本手話通訳士研究大会発表論文)
→「言葉の置換」と「コミュニケーション援助」


■ろう者との共感■  まあ、論文ですから、ちょっと聞くと難しい印象があるかもしれませんが、実は非常に基本的なことなんです。
 「基本的なこと」と書いて、実ははたと考え込んでしまいました。これは今養成講座で勉強中の人にとっても「基本的なことですね。」と共感が得られる問題だろうか?
 基本的なことだけに、すごく曖昧になってきたのかなと感じたのです。明確に定義されてこなかったからこそ従来のテキストには、「観察技術」という言葉がなかったわけです。
 従来は、「経験を積めば自然と分かってくるわよ」という言葉で片づけられて来たんだと思います。私もどのように説明したらいいだろうか、と悩みました。
 それでも今回、わざわざこの講義の中で取り上げたのは、1つ目の「読み取りが基本」、2つ目の「ろう者の眼で自己評価」につながる視点としてこの「観察技術」があるなと感じたからなんです。
 それは一言で言えば「ろう者と共感できる感性」を磨こうということではないかなと考えました。「観察」するというと何か機械的・形式的に聞こえますが、それは結果として「聞こえない人の気持ちがどこまで分かりますか?」…、いや「気持ち」じゃないんです。
 そのろう者が抱えている「聞こえないことによる壁の厚さ」を感じることと言ったらいいのかな。
 う〜ん、上手く説明できませんね。
 
■7つの視点■  先ほどの論文では、「観察の視点」を7つ挙げています。
(1)基本的にはコミュニケーションの状況を見る視点
(2)相手が、今、どのような状況に置かれているか
(3)訴えているものは何か
(4)その訴えを妨げている壁は何か
(5)その聴覚障害者や関係者の持っている力は何か
(6)利用すべき社会資源は何か
(7)自分は、何をすべきか
 そして重要な点は、手話通訳者自身がもっている価値観・先入観を排除することだとしています。そのためには、コミュニケーション理論を中心に、心理学・社会学的な基礎知識の豊かさが求められるとのことです。
■ろう者のニーズを見極める力をどう育てるか■  経験主義に陥ることなく、一つの基礎技術として「観察技術」を磨いていこうという姿勢が大切だということを市川さんも石原さんも指摘されているように思います。
 確かに、手話通訳の勉強の仕方そのものが、私が手話と出会った20年前とは全然異なっています。茨城でも登録の試験に合格するまでは、地域の中でも手話通訳を実際に経験することはなかなか難しくなっています。そうすると、こうした聞こえない人のニーズを見極める力についても、もっと分かりやすく整理をし、講座の中でトレーニングができるようなシステムを作っていかなければ、新しく手話通訳者をめざす人たちに「観察技術」を伝えていけないだろうなと感じています。
 そこで、私も新たにコミュニケーション理論の勉強をしなければならないなと感じ、『対人援助とコミュニケーション』という本を読み始めています。この本の帯には「知識だけでは援助できない。人と関わる能力を育てる。34の演習やクイズと12のケーススタディ」とあります。
 市川さんは、最初にご紹介した「あり方」の中で、マニュアル化の危険性に注意を促しています。それは、基本技術をマニュアル化するとマニュアルに書いてあることにだけで満足してしまって、一人一人がマニュアルをこえてさらに力を高めようと言う動きにつながらないと言われています。
 私もまだ中途半端な知識しかないのですが、あえて今日この「観察技術」を提起したのは、これからみんなで勉強し、考えていきたいと思ったからです。
『対人援助とコミュニケーション』(諏訪茂樹)中央法規1900円
■「何をしない方がいいか」を見極める力をどう育てるか■  先ほどのyes−no疑問文にはまりこむ危険性も、ここで紹介することによって一人一人がどこかで思い出していただけたらいいなと考えたのです。
 通訳の前の雑談の中でそのろう者の手話のタイプを考えるというのは、一つ間違うと、逆にその中で自分勝手な判断の枠にろう者をはめ込んでしまう危険性があることも自覚して取り組まなければならないことが分かります。
 つまり、このろう者は「これだけの援助が必要なんだ」という判断は、常に「必要のない援助はどのレベルだろうか」という裏付けとともにしなければならないということだと思うのです。
 すなわち「ろう者が主体性を最大限発揮できる」ためには「何をしない方がいいか」という視点を忘れないようにしたいと考えているのです。
 3つ目のお話しは以上です。まだ私自身十分に咀嚼し切れていない課題で、私自身ももっと勉強していきたいと考えていきたいと思っています。ろう者の力をどう把握し適切な手話通訳に結びつけるか、また、そうした力をどのように育てていくかは、まさにろう者と共に議論し乗り越えていくテーマだと考えています。
 これから皆さんが学ぶ実践課程のテキストを見るとなんだか実習のポイントしか書かれていないように感じるのですが、そこから「想像力」を巡らせていろいろなことに「気づき」「深く考える」ことがとても大切だと思いますので、是非今日私がお話ししたポイントも思い出しながら勉強していっていただければ幸いです。
5. 対人援助としての手話通訳実践技術
まとめ
 「倫理綱領をみんなのものに」
 あれこれうだうだ話してきましたが、結局のところ、私たち手話通訳者および手話通訳者を目指す人たちが基本とすべきことは、すべてこの倫理綱領に集約されています。
 最後に倫理綱領をご紹介してこれからの皆さんの勉強がより充実したものになることをお祈りしたいと思います。
<板書>
手話通訳士倫理綱領
1.手話通訳士は、すべての人々の基本的人権を尊重し、これを擁護する。
2.手話通訳士は、専門的な技術と知識を駆使して、聴覚障害者が社会のあらゆる場面で主体的に参加できるように努める。
3.手話通訳士は、良好な状態で業務が行えることを求め、所属する機関や団体の責任者に本綱領の遵守と理解を促し、業務の改善・向上に努める。
4.手話通訳士は、職務上知りえた聴覚障害者および関係者についての情報を、その意に反して第三者に提供しない。
5.手話通訳士は、その技術と知識の向上に努める。
6.手話通訳士は、自らの技術や知識が人権の侵害や反社会的な目的に利用される結果とならないよう、常に検証する。
7.手話通訳士は、手話通訳制度の充実・発展及び手話通訳士養成について、その研究・実践に積極的に参加する。
3.守秘義務…全てのことを知りうる立場になることの責任の重大さを自覚
→信頼につながる
■読み取りが基本■ 1.「読み取りが基本」という勉強を積むことによって、どんな時でも「ろうの手話が目に浮かぶ」力を伸ばそう。
■「ろう者の眼」で自己評価■ 2.聞き取り表現においては、「目の前にろう者の顔を思い浮かべながら」表現しよう。そして、「ろう者の眼」で自分の手話を客観的にチェックできるようになろう。
 自分が手話通訳している様子を頭の中でイメージできますか。
 そしてそれを「ろう者の手話と比較」し、「ろう者の眼」で分かりやすさをチェックできますか。
■ろう者をまっすぐ見つめ、理解する力■ 3.ろう者の必要としていることと、ろう者の主体性を発揮するためにはあえて「しない方がよいこと」があることを理解し、それを見極める力をどのように育てて言ったらよいのかを地域のろう者と共に考えていこう。
●ろう者の心を受け止められる手話通訳
■想像力豊かな手話通訳活動を■ 4.〔まとめ〕
 手話通訳者が実現するのは、ろう者の主体性の発揮、自己判断できる環境作りです。
 「主人公は、ろう者である」ということを、常に考えながら、想像力豊かな手話通訳活動を目指しましょう。
 そして、守秘義務の遵守を中心とした高い倫理観に基づき、さらに深く勉強し、ろう者の信頼を得られる通訳者になろう。
●どんな情報が届いていないのかを把握する想像力
●守秘義務を踏まえた高い倫理性
●ろう者の主体性を尊重し、自己判断できる環境作り
■最後にふたつ■  最後に二つだけ、2年前にこの講座を担当していたときに常に感じていたことを付け加えて私の話を終わりにしたいと思います。
 それは、
 「あなたの手話は聞こえない人に届いてますか?」
 「あなたの眼はろう者の本当の姿を捉えてますか?」
 ということです。
 「届く」か「届かない」かは、手ではなく眼が語っていると思います。この情報をどうしても聞こえない人に届けたいという思いを込めて、手話表現できているでしょうか。
 「あなた、この手話読み取れますか?」という他人頼みな手話表現になっていないでしょうか。
 豊かな表情や、相手に「届く」声や手話というのは、芝居の稽古と同じように意識的にトレーニングしなければ、そう簡単には身に付かないと思います。自分を「解放」してやらなければならないと思うのです。
 ここにある情報を、それを必要としている聞こえない人のために、自分の全身全霊を乗っけて、聞こえない人にどーんとぶつけるような気持ちだと私は考えています。
 聞こえない人に「届く」手話表現をしましょう。

 そして、読み取りです。「ろう者のありのままを、素直に受け止める眼」でひたすら「基本である」読み取りに努めましょう。
 読めるか、読めないかが問題なのではないのです。話しをしてくれる聞こえない方の気持ちを受け取ることができるかどうか、なんです。
 気持ちや感動を共有できる読み取り学習を始めましょう。
 自分勝手な「読み取り上手になりた〜い」という思いを一度解放してみてはどうですか。
 私の場合は、「本気で怒ってくれる聞こえない仲間いますか?」という感じです。そんな簡単には分かり合えるワケがないんです。聞こえる人と聞こえない人が。もうケンカしたり仲直りしたり、また悪口言ったり、自己嫌悪に陥ったり…。それでも茨城に引っ越してきてから、特にこの講習会を通じて、何人かの聞こえない方が、私にとってかけがえのない人になっています。
 「読み取りは聞こえない人に育ててもらうしかないな」という気持ちで、ろう者に頼ることがコツじゃないでしょうか。初心に返ってひたすら「教えを請う」これしかないと思います。
●「ことばが劈(ひら)かれるとき」竹内敏晴(ちくま文庫)
 じゃ、最後に、受講生に前に出てきてもらって、今日の私の話のポイントを一つずつ言ってもらいましょうか…冗談です。(おわり)
6. 参考  その他の参考文献をご紹介します。
 最初の本以外はなかなか手に入らないかもしれませんので、欲しい方がいたら声をかけてくださればコピーをお分けします。

●「新しい聴覚障害者像を求めて」”第3部 手話通訳 1.手話通訳の歴史(石原茂樹)””2.手話通訳について思うこと〔1〕通訳者の立場から(川根薫)”

●「手話通訳の理論と実践」(全日ろう連出版局)”第4章 手話通訳理念と業務(石原茂樹)” ”第5章 手話通訳と手話通訳実践(近藤幸一)”

●「手話通訳者養成コース指導ガイド」

●「新しい聴覚障害者像を求めて」
第3部 手話通訳 1.手話通訳の歴史(石原茂樹)
2.手話通訳について思うこと〔1〕通訳者の立場から(川根薫)


●「手話通訳者養成コース指導ガイド」
 高田英一さんはご存じですか? 高田さんは全日ろう連の前の理事長さんです。安藤さんは今の会長さんなのでご存じかと思います。  安藤・高田論文「日本における手話通訳の歴史と理念」(1979年6月)

研修メニューに戻る> <トップに戻る