イベント報告
1999年12月5日(日)午後2時〜4時 雑司ヶ谷社会教育会館 講師;小林良廣さん(東京都ろう重複児・者をもつ親の会 代表) 参加者;講師含め3名(小林さん&亜由美さん+木下) |
今回の学習会は残念ながら参加者が1名つまり私一人だったので、小林さんと私との対談という形でご報告します。
木下 | ろう重複者の問題は、一般の手話学習者などから見てもたいへん分かりにくい。どうしたらいいだろうか。 |
小林 | 第一の問題は、数の問題。絶対数が少ないということが、ろう重複者問題の解決を困難にしている。数が少ないから目に付きにくい。そうでなくても聴覚障害者は端から見て、その障害の重さが分かりにくいのに、ろう重複は地域レベルで言うと数名しかいない。世田谷でも私が知っている範囲では4名程度だ。そうすると、都レベルで問題提起しても地域へ持って帰った時、問題意識を継続しにくい。あるいは地域の人に理解されにくい面がある。 それから、第二には重複する障害が千差万別で、「ろう重複」と一律に見られない難しさがある。初めての人には、つかみ所がない面がある。世田谷の4人もそれぞれ特有の症状があり、聞こえないという共通点があっても、必要とする配慮はみんなバラバラだ。人によっては字が書ける子などもいるので障害の重さが分かりにくくなってしまう。 そして、第三として、この結果「ろう重複とは、こういうものだ」と分かってもらおうとすると「聞こえない障害+知的障害など」という形でひとくくりに説明されてしまうという問題が生じている。ご存じのように重複する障害には脳性小児麻痺や情緒不安定、これは一種の精神障害の発作みたいなものだけれど、あるはてんかん、視覚障害もある。これらの人をひっくるめて「ろう重複障害」と言うわけだから、「ろう重複=聴覚障害+知的障害」と受け取られては、実態を半分も伝えていないことになる。 |
木下 | 僕が感じているのは、そもそも最近の聴覚障害者問題そのものがたいへん見えにくくなっている。それで手話を学ぶ聴者も聴覚障害者問題に対する関心が低下しているように思う。差別法改正運動があったけれども、きっかけとなった公正証書遺言そのものは資産家でもない限り「身近な問題」とはあまり感じられない。今聞こえない人が何に困っているのか?がたいへん分かりにくい時代だと思う。普段付き合っている若い聴覚障害者は、それなりに生活をエンジョイしているし、正直言って彼ら自身のろうあ運動に対する熱意がこちらにあまり伝わってこない。 |
小林 | ろう者一般について言えば、生活が多様化し、ろう者の生活の不便さが見えにくくなっている。いろいろな機器が開発された結果、そうした機器を使いこなせる聴覚障害者は、ある意味で障害を克服できるようになっている。しかし、機械があれば解決できる問題ばかりではない。品川ろう学校に聴覚障害者が教員として採用されたが、研修での手話通訳が認められない。学校側は「聴覚口話法で教育された聴覚障害者で手話通訳は必要ないということで採用した。」と主張している。 そもそも現在のろう学校教育の目的がずれている。本来は聞こえる聞こえないに関係なくその年齢の子供に必要なカリキュラムを学ぶ必要があるのに、ろう学校は声を出すこと、口形から話しを読みとることに時間が割かれている。その結果、企業からは「せめて小学校卒業程度の読み書き能力は身につけてくれ」と言われる状態だ。 ろう者が社会生活を送る上で、どんな扱いをされてきたのかを歴史的明らかにし、ろう学校で生徒に教える必要がある。伊藤政雄さんがろう者の歴史について本を書かれたが、ページが増えすぎて現代については書かれていない。残念だ。 ろう教育の目的が「聴者が使いやすい聴覚障害者を育てる」ことになってしまっている。機械で克服できるような問題もあるけれど、聴覚障害者が自分の能力をキチンと伸ばし、社会生活をしていく上で必要な知識や経験を身につけられるような教育が保障されていないと言うことは、たいへん大きな「聴覚障害者問題」だといえる。 |
木下 | ところで、親の立場から見て、施設建設の問題をどのように捉えられているのでしょうか? 先日花田さんから「仲間たちを宣伝材料にはしたくない」というような発言があり、「親御さんの気持ち」ということをもっと考えなくちゃいけない、と感じているのですが。 |
小林 | ライフステージによって親の気持ちもずいぶん変わってくる。@生まれた時、A乳児期、B幼児期、C少年少女時代、D青年期、子供が成長するに従って親の気持ちも変化してくる。 また、母親と父親の受け止め方も違う。父親はある一定の時間しか子供を見ていないけれど母親は24時間ずっと一緒。 子供が小さい頃は「障害」というのは時間がたてば治るんじゃないか、教育によって喋れるようになるんじゃないか、という思いが強い。ほかの子より発達が遅いだけなんだと考える。だから、ろう学校の先生に「早期教育を施せば喋れるようになりますよ」などと言われるとたいへん勇気づけられる。事実、1〜2歳から教育を始めると効果がある。また、幼児期にはそうした早期教育のお陰もあって、聴覚障害児は学力的にも健聴の子供と遜色ない。親たちも学校の成績などに関心がいきがちで、聴覚障害という問題をあまり深く考えない。 それが、少年少女期になると子供同士の付き合いの中で、聞こえない・喋れないということで、だんだん取り残されていくようになる。やがては「あの子は馬鹿だ、つんぼだ」といじめられるようなことも起き、居づらくなってくる。 そして、青年期に近づくにつれ自我が芽生え、親との対立を迎えて初めて「聞こえない」ということを嫌というほど認識させられるようになる。 |
木下 | ろう重複の子供の場合は? |
小林 | まず、生まれた時医師から「長生きはできない」と宣告される。親は「一日でも長く生きて欲しい」と願いながら我が子の成長を見守る。そして、「この子の一生を見届けたい」という気持ちになって、『どんぐりの家』に描かれたように「この子より一日だけ長生きしたい」という思いが生まれてくるのだ。 しかし、高齢出産である場合も多く、現実に子供が50歳60歳になるまで生きていることは不可能であることが明らかであり、「一人になっても安心して預けられる所」を作らなければという考えにつながってくる。 「施設」というと"鉄格子と時間・規則に縛られた場所"というイメージがある。しかし、花田さんは「環境」という言葉で表している。鉄格子も高い柵もなく、仲間たちが施設の外にも安心して出掛けられる町。青梅市全体が安心して暮らせるような環境になっていくことが大切。また逆に施設が環境を作っていくという面もあると話されている。 |
木下 | 親たちは本当に「施設」を望んでいるのでしょうか? |
小林 | 一つには、うちの娘の場合、ろう学校の寄宿舎に入って暮らした経験がある。入れる前は「とても続かないのではないか」と心配したが、ろう集団の中で彼女なりにとけ込んでいった。そうした力を持っているのだ。寄宿舎では、10歳位の子供から上は専攻科の20歳くらいの子までが一緒に暮らす。上下関係や横の関係の中で彼女が育てられてきた。 家庭・学校・寄宿舎、それぞれに違った顔(世界)を持っているのだ。親の前では甘えて我慢できないことも、一人で寄宿舎にいる時にはできてしまう。施設も同じだと思う。 そして、二つ目には、聴者の子供が親の元を巣立っていくのと同じだということだ。聞こえる子供なら成人しやがて結婚したり一人暮らしを始めたりすれば祝福されるだろう。誰も疑問を感じない。それが何故ろう重複の子供が施設に入って「自立した共同生活」を始めようとする時、「子供を見捨てた」と親が非難されなければならないのか? 子供はみんなやがて親から離れていくものだ。たましろの郷は、仲間の独立の城だ。 三つ目に考えて欲しいのは、子供の目の高さで考えて欲しいということだ。ろうの仲間たちの視線で、仲間たちの気持ちになってこの問題を考えてみて欲しい。仲間たちから見た世界はまた違ったものがあるだろう。親や福祉関係者など大人の観点からでなく、仲間たちだったらどう考える、どう受け止めるだろうか、という視線で「たましろの郷」のことを考えていって欲しい。 |
以 上
小林さんと亜由美さんと3人だけだったこともあり、ずいぶん言いたい放題質問させていただきました。小林さんは、一つ一つに丁寧に答えてくださり、このまとめができあがりました。たいへんありがとうございました。
次回、第4回施設班学習会は、来年1月22日(土)午後2時〜4時まで、会場を変え、今度は支部事務所で行います。テーマは「学童クラブについて」を予定していますが、講師の交渉がこれからなので、テーマについては変更の可能性があります。