イベント報告

第11回ろう教育を考える全国討論集会in奈良

記念講演「ろう教育と手話の言語発達」

(兵庫教育大学障害児教育講座・助教授 鳥越 隆士さん)

1999年8月7日(土)
会 場;奈良県文化会館
参加者数;1,005名

<記念誌より>

 ろう教育における手話の導入やバイリンガル教育についての議論が盛んである。欧米のろう教育に関する情報もたくさん報告されるようになってきている。私自身は学生時代から手話と関わり、また、ろう家庭の中で手話の発達を追いかけてきた。
 ここ数年は、ろう学校で先生方と子ども達の成長を眺めている。
 また、最近はスウェーデンで、ろう学校に2ヶ月滞在する機会を得ることができた。ろう教育の現実を身近に感じる機会に恵まれている。
 この報告では、理論や理念を大上段に振りかざすのでなく、私がろう学校で得た経験から、現場で感じた手話の導入についてお話ししようと思っている。
 そして子ども達の成長と言う視座から、バイリンガル教育、手話の導入の問題を私なりに整理しようと思っている。

  1. あらためて「言語」とは−理念・理論・現場
  2. 私が見たろう教育の歴史
  3. 子どもたちの発達を中心に据えた「言語」教育
  4. リテラシー(読み書き能力)をどう捕らえるか。
  5. スウェーデンで考えたこと

<講演メモ−「要約」ではありません。僕のノート(パソコン)からの転載です>

 ろう学校の保健室で、カウンセリングを担当し始めて感じたこと。

 ろう学校中高等部のこどもたちの中で、問題を抱える子供の多くが、インテグレーションを経験した子供である。そして、彼・彼女達と話していて感じるのは、「彼・彼女らは、言葉(発話)もはっきりしているのに、お互いの会話が、なかなか深まらない」ということ。

 これは、なぜなのか、どういうことなのか?という疑問を感じた。
 私は、<コミュニケーションの問題>ではないか?と考えた。
 つまり、読み書き・考える力やアイデンティティは、<コミュニケーションの問題>と密接な関わりがあるのではないだろうか?
 そして、それは、コトバをどのように学んでいくのか? あるいは、言語指導における手話の導入といった問題に関係してくるのだと考えている。


そこで、まず最初に
「コトバというものを本当に「教える」ことができるのか?」
ということを考えてみる。

(スライド「車」)

 言葉と意味は必ず結びついて入ってくる。このスライドを見て、子供にどうやって「車」という言葉を教えるのか?
 どうやってこの映像から「車」の概念にたどり着くことができるのだろうか?
 結論は、「教えることはできない」ということである。
 何故なら、こどもには、たくさんの選択肢があるからだ。このスライドを見た子供は、「車」と結びつけても良いし、「ファミリア」という車名でもイイ。「赤い」や「止まっている」「鉄のような堅い材質」というコトバと結びつけたっておかしくない訳だ。
 つまり、コトバは、教えないと身に付かないというものではない。


 「コトバは教えないと身につかない」ではなく、「コトバは教えることはできない。」と考えてみると、「では、子供たちがコトバを身につけるための状況とは、いったいどういう状況なのだろうか?」ということが問題になってくる。

子どもたちはコトバを学ぶ力を持っている
 これが結論である。
 そして、コトバを身につけるための状況とは、「遊びとおしゃべり」これしかない。
 何か、わくわくすること、話したくなるような状況がコトバを引き出すのだ。
 表情・身振り・指さしなどを含めた「おしゃべり」が大切なのだ。

 「さあ、遊びはやめて勉強しようか」とか「おしゃべりはやめて勉強だよ」というのがこれまでの教育だった。その背景には、「黙っているのが良い事」とする文化があるようにも思う。しかし、「コトバを教える」ということを考えると、それは、間違っていたのではないか?


 キーワード=対話
 「これ何?」「時計」、こんな薄っぺらな対話では、言葉を学ぶ力になり得ない。
 従来のコトバの学習は、この程度の対話であったのではないか。
 しかし、本当は、<対話の質>が大切なのだ。

*(スライド)*****************************
*対話が生まれるためには、
*1.話したいことがいっぱいある(コミュニケーションの意図)
*2.伝わった喜び(共感)
*3.相手にも同じだけ話したいことがあることに気付く(聞き手の成立)
**********************************

 対話の力とは、「対話の広がりと深まり」によって育てられる。
 
 伝達モデルから創造的な対話へ=さらに、協同モデルへ

 「対話の広がりと深まり」は、
   読み書きの力、
   考える力(思考力・学力)、
   自分を見つめる力(アイデンティティの確率)    につながるのだ。


 では、「手話と音声言語との違いとは、何だろうか?」
 手話=手・体全体・身振り=視覚的=空間的
 音声言語とは違う構造を持っている→どうやって、学んでいくのか?
 
 結論;手話も音声語もほとんど同じである。

 聞こえる子供は、4〜5ヶ月で「なん語」(アアアア・・)を話す、
           10ヶ月から1歳で一語文(マンマ)を話す、
           1歳半前後から二語文
           2歳半後半から文法的に正しい文章を話せるようになる
 手話(ろうの子供)もほとんど同じ
           手話にも「なん語」がある
           手話には、赤ちゃん言葉もある;幼児らしい手話表現による「終わり」

 育児語;子供に対する大人の働きかけ;例「ちっちした?」
      高い音や、抑揚が強調された言葉、
 手話にも育児語が存在している。


 結論;子供が元々持っているコトバを学ぶ力を利用するべき。

 事例;絵本の読み聞かせ
     しかし、「手話の読み聞かせ」は難しい
                ↓
         <本を見ていたら本が見えない;手話を見ると本が見えない>
                ↓
           親はどのような工夫をしているか?
          ・子供の視線をうまくコントロールしている。;例えば、絵本の上で手話を表現
          ・豊かな会話が行われている


 手話で対話をしていると楽しい
      ↓
 しかし、「楽しい会話をした」だけで終わってはいけない
      ↓
 日本語の力をどのように付けていくか?
          読み書きの力をどう付けるか?
      ↓
しかし、読み書きでつまずくのは、ろう児だけでない。
      「話せ」ても「読み書きの力」に結びつかない子供はいる。


岡本夏木さん
 話し言葉(幼児)が、直接、書き言葉(小学生)につながっていく、という従来の考え方を変えた。
 1.<一次的言葉と二次的言葉>がある。
  まず、一次的言葉としての話し言葉を身につける。
                    ↓
  これを、書き言葉に結びつけるためには二次的言葉が必要。
       二次的言葉が十分に育っていないと書き言葉に移行できない

 2.<一次的言葉>とは?;現前状況を表現するもの
                 ;自分←外言→他人
                 ;1対1、特定の親しい相手、
                 ;自分の体験、
                 ;すぐに伝えることはできない=相手の力が必要=対話

 3.やがて、自分の体験を「自分の力だけで」報告できるようになる
                            =相手に伝えることができるようになる。
        自分一人で報告できる=自分の頭の中で対話ができる(内言)ということ
             ↓
        特別の相手以外にも相手が分かるように話せる=相手に応じた話し方ができる
               =言語意識(自分が使っている言葉に対する意識が芽生えている)
             ↓
        集団の中で話ができるようになる


 二次的言葉を身につけるには、何が必要か?=いろいろな人と話す・集団の中で話す
                                ↓
                              内言<二次的言語>が育つ
                                 =自分で物事を考えていく力
         ↓
 ※対話の広がりと深まりが必要

(スライド)

手話 日本語(音声語)
学習言語(二次的言語) ない ある
生活言語(一次的言語) ある ある

(スライド)

手話 日本語(音声語)
二次的言葉(書き言葉) ない ある
二次的話し言葉 ある ある

  ↑ これを十分の育てることが次の書き言葉につながる

手話 日本語(音声語)
一次的言葉(話し言葉) ある ある

<絵本から物語へ>
 *二次的な言葉が育まれるような<集団>が大切
                        ↓
                自分を見つめる言葉が育つ
                        ↓
       自分の中で対話が深まっていく中でアイデンティティが確立されていく

アイデンティティ =居場所(社会的な居場所・対話の広がりと深まり)
              +
            語り(過去の自分・現在の自分・将来の自分を語れる意識
               =自分の心の中で対話できる力


インテグレートした子供たち=痩せた対話になっている
                    ↓
                  自分の心の中に深まっていけない
                    ↓
                  聾学校の中でも起きている

結論;「遊びとおしゃべり」が成長の基盤になっている


<スウェーデン・モデル>について
 ・聴覚障害者にとってスウェーデン語は第二言語(読み書き)
 ・ろう児は、バイリンガルに教育。
 ・手話が第一言語

 *現実は、現場はどうなのか?イデオロギーは分かるが、子供たちは毎日何をしているか?
        ↓
    2ヶ月スウェーデンに滞在してきた。(ストックホルム・マイナろう学校)

・1年生14人;先生4人(健聴男性1ろう家庭、女性難聴1ろう家庭、ろう助手トルコ移民ろう家庭)
・人工内耳3人、難聴5人、ろう児6人(少数派)

・一斉授業=半円になっての授業

「すごいな」と思ったこと
1.対話を重視・自主性を重視
           ↓
   文化の問題かと考えたが、違った。
   10数年前には「教える」「教え込む」という関係だった、とのこと

2.子供たちがよくしゃべる
   ・子供からたくさんの質問;日本のろう学校では、なぜ手話ができないのか?
                   そもそも日本には手話がないのか?
                              ろう学校がないのか?
                   手話なしで、どうやってコミュニケーションしているのか?
   ・これは、小学部1年の子供たちからの質問
            ↓
         日本のろう学校でこれだけの対話ができるだろうか?
            ↓
         日本のろう学校には、なぜ手話が導入されていないのか?


スウェーデンにおけるバイリンガル教育は、15年ちょっと
 ・第1段階=手話の導入;例えば、親が手話を学ぶシステム
    ↓
 ・読み書きを身につける環境についてはまだまだ満足できていない

 ・スウェーデン語の授業には、移民の子供用のテキストを使用している
    ↓
 ・しかし、抽象的な会話に全員が参加できている。例;エイプリルフールの話し

 ・豊富な教材
 ・スタジオ
 ・アダムスブック
 ・ビデオ
 ・テキスト;冒険物語・2・3年生

 ・対話を大切にしている。
 ・集団を大切にしている(例;学童保育で4時くらいまで遊べる)

 ・「親は親、教師は教師」という原点に戻った。
 ・教師は教師としての役割を果たす、という考え方
 ・地域の支援サポートがある(例;ろう協会が教材制作への支援)

<感想の追加>

  最後の方は、記録もメロメロですが、講演の雰囲気くらいは、感じていただけたでしょうか?
 講演内容は、去年のTC研で伺った話しとほぼ同内容だったように思いました。
 でも、こうして改めてまとめて見ると、素晴らしい講演だったことを再認識しています。
 こうした研究を元にろう教育・ろう学校が変わり、ろう児が集団の中で生き生きと会話し、その中から自己を確立し、自分の言葉で自分を語ることのできる、「ろうの教師」がどんどん生まれてきて欲しいものです。
 それにしても、そんな「ろう集団」を保障する基盤となる「ろう学校」が統廃合の危機にさらされているというのは、重大な問題であることを痛感します。

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