タイトル | フロイトからユングへ 無意識の世界 |
![]() |
著者 | 鈴木 晶(法政大学教授) | |
出版社 | NHK出版 (電話03−3780−3301) |
|
発行日 | 1999年10月20日 第1刷 | |
読了日 | 2000年1月 | |
価格 | 1020円+税 |
どうして買ったのか思い出せない。う〜ん、情けない。
なんでだっけ?
読後感
たいへん面白かった。話しはフロイトについて書かれた前半と、ユングを中心に書かれた後半に分かれている。
前半のフロイトのパートで興味を引いたフレーズを以下に転記する。
◆夢のメカニズム」
・・・夢には解読あるいは解釈が必要です。無意識的な欲望はストレートに出てこない。加工されている。「検閲」を経るからです。(p77)
◆本能の神話
・・・母性愛というものは確かにあるが、それは必ずしも本能ではない。・・・もし母性愛が本能であったならば、自分の子どもがかわいくないという母親は「人間ではない」といわれるわけです。でも、本能でなければ、そういう母親がいてもおかしくありません。(p87)
◆エスという概念
・・・つまり人間は自分で意識して生きているように思っているが、実は無意識という、自分の中の自分でない部分によって動かされているのだ・・・つまり「私」ではない「私の外にある何か」ということです。でもエスはあくまで心の一部です。しかしそれが自分の外にあるように感じられる。自分の外にあると感じるのは自我です。つまり、自我から見るとエスは自分の外にある。しかし、外側から客観的にみればエスもその人の人格の一部です。いや一部どころか、むしろ中心部分です。(p112)
◆人格をつくり上げるもの
・・・たとえていえば、潔癖性的に、こういうものが自分なのだというふうにはっきりと決めてしまって、それ以外のものを一切寄せ付けず、どんどんエスのなかに放り込んでしまうと、エスの部分が大きくなって、それだけ自我が危うく不安定になるわけです。逆に、こういうのも自分、ああいうのも自分と、全部を認めて、自我の中に取り込み、自我を大きくしてやると、今度は自我の中で色々な矛盾が出てきてしまい、やはり不安定になってしまいます。(p119)
◆幼児体験の分析
・・・たとえば患者が「私は小さい頃こういう体験をしました」と行った場合でも、フロイトはすんなりそれを信じないのです。それが本当の記憶であるか、それとも後になって作り上げたものなのか、それは分析してみなければ分からないと考えるのです。・・・彼はここで面白い例えを引いています。ある民族あるいは社会が自分たちの歴史を書くとか、神話(建国神話)をつくるといったことは、このメカニズムによく似ているというのです。・・・現代に生きる私たちは、歴史と神話を区別しています。神話は「つくりもの」であり、歴史は事実である、と一般には思われています。しかし実際には、歴史の中にもつくり話がたくさん混じり込んでいるのです。自分たちに都合のいい事実だけを残し、都合の悪いことは隠したりするのです。この歴史に対する精神分析からの批評は大変重要だと思います。(p138)
次に後半のユングの項目から。
◆ペルソナとは
実際の自分ではなくて、自分や他人が考えているような自分のことです。たとえば、実像とは違うかも知れないが、自分はこういう人間なのだと考えている自分があります。それから、他人が見ている自分というものがありますね。それがペルソナです。
いわば心がまとっている服です。・・・ペルソナというのは、卵の殻のようなものだと考えることもできます。心というのは非常に柔らかいものであって、包んでいないと壊れてしまう。逆に、この殻が外界から何かが心に侵入してくるのを防いでいる。そんなものをイメージしていただければいいのです。いいかえれば、「外向けの自分」ということです。(p250)
◆他人への影の投影
・・・その黒の人格、すなわち影が他人に投影されることがあります。・・・自我は、本来自分が持っているのだが認めたくないもの(当然それは自分にとってイヤなものです)を他人に投影します。つまり、それは自分が持っているのではなくて他人が持っているのだというふうに考えようとします。・・・したがって、もし、理由はよく分からないが、ある他人のことが嫌いだという時、その他人のイヤなところというのは、本来自分が持っていたものなのではないか、と疑ってかかることが必要です。(p260)
◆アニマとアニムス
・・・ペルソナに対して、殻に入っている中身の方(心そのもの)が「アニマ」と呼ばれる元型です。・・・アニマというのは女性名詞です。ユングによれば、男性の場合、自分の心を表す元型は、女性の姿をとって現れることが多いのです。一方、女性にとっての心(魂)は、夢や幻想の中で男性の姿をとって現れる。そのことをユングは「アニムス」と呼んでいます。
ペルソナというのは社会的な仮面ですから、男性は普通は「男性的な」仮面をかけており、女性は「女性的な」仮面をかけている。その傾向が強くなり過ぎると心のバランスが崩れるので、それとバランスを取るかのように、男性の場合は、心の元型が女性的なイメージとなって現れる。女性の場合はその逆であると、そんなふうに考えていただければいいと思います。
◆自我と自己
・・・このように自我(エゴ)と自己(セルフ)を大きく区別する点がユング心理学の特徴です。自我は、フロイトが考えた自我とほぼ重なるもので、意識の中心にあるものです。ですから、現実に生きている自分の人格の中心にあります。それに対して自己は、意識と無意識をひっくるめた心の中心です。ユング心理学は個人的無意識と集合的無意識があると考えるわけですが、その全体をひっくるめた心の中心をユングは自己と呼んだのです。
自我は、私たちが生きていく上で絶対に必要なものです。自我がなければ生きていくことはできません。自分が何であるかが分からなくなってしまうからです。自我がないと、極端な話し、昨日の自分、あるいは10年前の自分と、今の自分が同じ自分であるという保証がなくなってしまう。この同一性、すなわち10歳の時の自分も自分であり、40歳、50歳になった今の自分もそれと同じ自分なのだと言い切れるのは、自我がずっと存続しているからです。
ただし、自我が常に同じというわけではありません。
人生を経ていく間に、自我も変わっていきます。何が自我を変えていくかというと、自己というものが、比喩的にいえば、ある深みから(あるいは高みからといってもいいと思いますが)、つまり自我を超えた点から、ちょうど工事の現場責任者が高いところから見て作業員に指図をするように、自我を変えていくのです。
人間は、様々な可能性を持っていますが、その可能性を実現していくのが自己です。宗教との関係でいえば、ある意味で、人間は自己というものを神として信仰してきたということもできるでしょう。
「それがどうした?」って訳ですが、人間の心のことを精神分析という面から理解することも大切ではないかと思うのです。ろう重複の仲間の中には精神的な障害をもった仲間もいます。自閉症やパニック障害など心の問題は、こうした心の仕組みに関する研究成果を学ぶことによっても、「より仲間の立場に立ったサポート」に近づけるきっかけになりうるのではないだろうかと考えています。
また、心の問題は、「障害」という捉え方だけでなく日常的なストレスや情緒的な問題を解決していくためにも重要な知識ではないかと思います。
そして何よりも私は「自分の心」を理解する上でたいへん勉強になった一冊でした。
トップページへ戻る | 書籍CONTENTSへ戻る |