タイトル | 「どんぐりの家」のデッサン−漫画で障害者を描く |
著者 | 山本おさむ |
出版社 | 岩波書店(電話03−5210−4000) |
発行日 | 1998年5月26日 第1刷 |
読了日 | 1999年7月 |
価格 | 1500円+税75円 |
買ったのは、1999年3月20日(土)に砧区民会館(世田谷区成城)で行った「第2回どんぐりの家世田谷上映会」で販売の担当をした際、「売れ残り」の中からこの本を買った。
98年2月に行った第1回の上映会に比べ、この時は天候も悪く、客足もサッパリで失意の上映会だった。それでも久しぶりに映画「どんぐりの家」を見て、やっぱり感動して泣いてしまった。つくづくいい映画だと思う。
読後感
僕はあまり漫画を読むほうではない。だからビッグコミックに「どんぐりの家」が連載されていた当時も、会社で友達が読んでいるのを後から回し読ませてもらう程度だった。
山本さんには、映画完成時の試写会などでお会いしたり、その後のレセプションで挨拶されるのや世田谷での第1回目の上映会にお越しいただいた時にも、挨拶を聞いたとか、程度の面識しかなかった。印象は「モサッとしたオッサン」だった。
埼玉にある「ふれあいの里 どんぐり」の見学に行った時、山本さんをお見かけし、「漫画家なんてメチャメチャ忙しいだろうに、なんでこんな場所にいるんだろう?」と思ったことをよく覚えている。後で聞いた話しでは、施設の理事に名前を連ねているとのことで、「本格的に施設に関わっているんだ」ということを知って、驚いた。
「どんぐりの家」は単なる漫画の材料ではなかった。本気だったのだ。
まえがき
本書は、漫画家がなぜ、どのように障害者を描いたか、ということを語ったものである。
漫画は描き始めてからも苦しいが、描き始めるまで、何をどのように描くかを手探りする段階も、苦しい。そのような発想、資料集めなどの準備やその読み込み、着手までの創作過程を明らかにしながら、その過程の中で私がどのように障害や障害者について学び、行動し、描いたかを詳しく書いて見た。
私がなかなかこの本を読む気にならなかったのは実は「売れた漫画家の自慢話し」じゃないかと思っていたからだ。でも、この本を読みながら感じたのは山本さんの「苦しみ」だったように思う。「苦悩」と言った方が適切だろうか。第一章の前に「どんぐりの家」第一回が丸々掲載されていたのも「ゲッ、ページが水増しされている」くらいに思っていた。実に失礼甚だしい私の態度だった。
映画を見て最初に泣いてしまうのが、この第一話の中の救急車の中で昏睡状態の圭子ちゃんにお父さんが必死で呼びかけるシーンだ。
「生きようとしている…。この子は…生きようとしている。」
「そして弱く愚かな私たちにこの子は訴えている。小さな体に大きな荷物を背負ったこの子は…私たちに示そうとしている。」
「生きているんだ…。せいいっぱい生きようとしているんだと…。」
このお母さんの独白を生み出すのに山本さんがこれほど「苦しんだ」とは、この本を読むまで私は理解できていなかった。このセリフは実は、山本さんの心の叫びでもあったのだった。
第一章 障害者描くべからず −差別表現と漫画界のタブー−
第二章 遥かなる甲子園 −障害者と出会う
59頁 私は地の底にたたき落とされるような感じがした。私の描こうとする物語は、もはや野球のことだけでは済まされない。その物語の背後で、障害者であるが故に差別を受けるこうした人々が、「俺たちがいるのだ。俺たちのことを書け」と声をあげているような気がした。
第三章 差別と被差別 −私のささやかな体験
77頁 「遥かなる甲子園」は障害者を描く初めての作品だったが、このように自分の少年時代に蓄積されたルサンチマン(怨恨・憎悪)を、障害者が差別を受けたことによって彼らの中に蓄積されたであろう、他者や社会に対するルサンチマンと重ねあわせながら自己確認する作品でもあった。
第四章 障害者とは何か −権利を実現しようとする人々
各章のタイトルからして漫画家の「制作裏話」とはかけ離れた内容である。けれども、この本を読み終わった時感じたのは、これこそが「漫画を描く」ということの真実だったのだ。描く対象と苦闘し、悩みぬいた末にそれぞれのキャラクター(登場人物)が生まれてくるのだった。
第五章 手話は心 −ろう教育の歴史
第六章 わが指のオーケストラ −障害者観の対立
134頁 「わが指のオーケストラ」で障害者観の対立を描きながら、この国のあまりにもひどい障害者観とその歴史に対して憤慨することしきりであったが、やっと現れたこのノーマライゼーションの理念が、この国に定着していくことを願うばかりである。…と願ってばかりではいけない。この理念は社会の努力を要請しているのだから、私も社会の一員として何かアクションを起こさなければならないと思っている。
この2章は、もうほとんど聴覚障害者問題のテキストと化している。不思議な人だ。ろう教育の問題、いや、そもそも我が国日本の教育全体に対しては、私も憤慨することばかりだ。しかし、自分の漫画を語るのに、どうしてここまで教育論議に熱が入ってしまうのか、まったく山本さんの実直な性格が伺える。書かずにはいられないのである。その思いが「遥かなる甲子園」に結実したのだ。
第七章 どんぐりの家 −成長への喜びと確信
139頁 「遥かなる甲子園」では障害者差別を描き、「わが指のオーケストラ」ではろう教育やろう者の歴史を辿ったが、この手記(「生きようね、未来見つめて」−どんぐりの家設立に関わった親や教師の手記−木下注)のなかには−この時期にはまだそれほど自覚していなかったが−前二作を更に掘り下げたもっと根源的な生命に関するテーマが潜んでいるような気がしていた。なぜ「差別」と闘うのか、なぜ「権利」を主張するのか、「人権」とはどういうことなのか…等々、言葉の解説や定義ではなく、人が生まれ育っていくことに対する切々たる愛おしさのようなものを、この手記から感じたのだった。
147頁 実はいつも私には不安がある。作品にとりかかるとき、例外なくフッと思うのである。本当に自分にこのお母さんたちの気持ちがわかるのだろうか、描けるのだろうか、と。この不安を打ち消すために資料読みからシナリオの書き直し、下描き、背景、仕上げまで、いやというほど点検し、自己批判し、書き直しを繰り返す。
第八章 ”大橋朝男”とは、誰か −制度の谷間の障害者
第九章 運動を担う人たち −新しい価値を創る
175頁 この文章は「娘よ、私はあなたより一日だけ長く生きたい」と題されている。このお母さんの心情に、私はいたく動かされる。娘より長生きしなければならない、と決心するお母さんの心情は、親としての悲しみに満ちている。
あとがき
197頁 このテーマと出会ってから約10年、私は自分の人生を一からやり直してみようと考えた。人間が人間を差別するという問題を描くことは、私のとって一大事業だった。私は人間を知らなかった。自分の住む街も、社会も知らなかった。私は漫画を描くことと書物に没入し過ぎて、実際の人間や社会の肌触りを長い間忘れてしまっていた。漫画の登場人物は観念的・抽象的にならざるを得ない面がある。しかし、その土台にはリアルな人間の肌触りが欠かせない。それを回復するために必要なのは、自分自身の少年時代を想起することと、実際に障害者や関係者と日常的に接することだった。私は、漫画家である時間をできるだけ削って、熱心に手話サークルに通った。
「娘よ、私はあなたより一日だけ長く生きたい」
この「せたつむり」ホームページをはじめとした、ろう重複の仲間たちの応援に、私を駆りたてているのも、このお母さんの心情だ。
上手く言えないけれど、それは「同情」じゃないと思う。いてもたってもいられなくなる気持ちを僕に起こさせる。絶対にずっと応援しよう、という気持ちが体中にみなぎる。
私は、この本を読んで、すごく勇気づけられた。
正直言うとこれまで「山本さんみたいな有名な漫画家に応援してもらって埼玉はいいよなあ」みたいなひがみ根性があった。
でも、山本さんは「有名人」じゃなかった。僕らと同じ思いに駆られた一人の漫画家だった。
それも飛び切り根性入った漫画家だった。だったら僕らだって負けない、という気持ちになれた。漫画は描けないけれど、熱意だけは負けないように頑張ろうと思う。
僕らがこの運動を続けていく上で大切な問題を整理してくれると共に、山本さんの「熱意」が僕らにエナジーを与えてくれるような、そんな素敵な「デッサン」でした。
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