[東京都聴覚障害者の生涯保障をめざす会資料]より転載
このページは、今後、さらに当時の資料を調べて、加筆していこうと思います。
時々、のぞいて見てください。
<最終修正;1999/09/18 午後 12:14:12>
年月日 | 出来事 | コメント<キーワード> |
1966 | ●東京都は都立立川ろう学校に「重複児学級」の設置を正式認可。 | |
1972 | ●ろう学校在校生の家族の「ろう重複児者をもつ親の会」創設 | |
1982 | ●「親の会」立川ろう学校会員による独自の「日曜集会」実施。 | 僕は81年2月に手話と出会った。 「日曜集会」って? |
1985 | ●日野市にアパートを確保し、学童クラブ「すぎなの家」開設 | この僕は日野市に住んでいた。でも「すぎなの家」との接点を持てなかった。手話サークルに夢中だった。 |
1986 | ●「東京都聴覚障害者の生涯保障をめざす会」創設 ● 「すぎなの家」を学童クラブ「かたつむり」に発展的継続 |
[1年目] |
1987 | ●創立1周年記念事業として、埼玉「どんぐり」と共催による「関東地区ろう重複者家族のつどい」を開催。 ●拠点を国分寺市に移し、ろう学校生徒の「職場実習」受け入れ。 ● 「学童クラブ」に「都障害者通所訓練事業」補助金。 |
「関東のつどい」スタート! 自分達だけの問題に留まらず、関東各地に散らばるろう重複者・家族たちに「仲間がいるのよ」と呼びかけた。素晴らしい。 |
1988 | ●通所者たった一名による共同作業所「かたつむり」開設 ●都内各地において家族会員による「施設学習会」頻繁に開催。 |
[3年目] この頃「施設建設運動」スタートということになりますね。 |
1989 | ●施設建設予定地の情報収集スタート | |
1990 | ●候補地対象を関東一円から東北・信州・東海方面まで広げた。 | [5年目] |
1991 | ●東京都以外への建設は不可能と判断して、対象を都内一本に絞る。 | [6年目] |
1992 | ●奥多摩町に候補地確保。 ●「めざす会」傘下に「設立委員会」を結成。 ●東京都は都立ろう学校幼稚部の「重複学級」設置を正規認可。 ●「関東地区ろう重複者家族連絡会」結成。「関東の集い」主催。 |
[7年目] 92年2月22日たんぽぽ講演会「ろう重複って、なぁに?」開催。これがたんぽぽとかたつむりの出会いの始まりだった。 |
1993 | 東京都に対して「施設整備計画」予算申請。却下。 | [8年目] この年11月にたんぽぽ講演会「ろう重複って、なに? たましろの郷って?」開催 |
1994 | 「設立委員会」を独立改組。「後援会」を結成。 予算再申請⇒確定。 |
[9年目] |
1995 | 地元交渉を継続するも、住民の「建設同意」を得られず、断念。 | [10年目] |
1996 | 旧委員会による残務整理と建設予定地再調査開始 | [11年目] |
1997 | 「新設立委員会」を再編成し、設立候補地選定をめざす。 | [12年目] |
1998 | 青梅市長渕自治会 たましろの郷建設に同意 | [13年目] |
このページ、実は「たましろの郷」後援会年表に上書きする形で作った。
そこで面白いことに気づいた。
かたつむりの年表には95年に「断念」とある。
ところが、後援会年表には97年3月城地区「撤退」、補助金申請取り下げ、となっている。
2年のタイムラグがあるのだ。
この「せたつむりホームページ」の年表では、たましろ年表も95年3月「自治会の了承を得られなかった。」となっているけれど、実はこれは僕が補足したもの。
もともとの「たましろの郷後援会」の資料には、記述がなかったのだ。
当初申請した東京都の補助金のタイムリミットは95年3月だった。
私の記憶としては、この時「断念」という印象が強いのだが、その後も断続的な交渉が続いたため、たましろの郷後援会スタッフから見ると、最後の最後に撤退を宣言した97年が「断念」だったということになるのだろう。後援会スタッフの「無念」の思いが伝わってくる。