「たましろの郷」建設運動の歴史(年表)

[1999年度たましろの郷後援会報告集会資料]より転載

年月日 出来事 コメント<キーワード>
1991.06.08 東京都の情報提供施設に係わる懇談会 [1年目]
情報提供施設
   .09.07 第1回「法人設立準備会」 社会福祉法人
1992.06.30 奥多摩町に南氷川字城(じょう)に1,709坪の土地購入契約成立 [2年目]
「たましろの郷」の由来>
   .10.03 新宿・池袋・立川にて街頭宣伝活動開始 街頭宣伝活動
1993.06.27 第1回「たましろの郷」設立をめざす集い(オリセン) [3年目]
   .09.11 第2回「たましろの郷」設立をめざす集い(センプラ)
   .12.25 たましろの郷設立の請願署名を都議会に提出(5万名を超す)
1994.02.16 法人審査通過 4月大阪「なかまの里」オープン
   .05.21 「たましろの郷後援会」発足式(法人設立準備会を改組) [4年目]
後援会
   .07.01 国庫補助金内定通知 ここまでいっていたのに・・・残念でならなかった。<国庫補助金内定
1995.02.19 第1回たましろフェスタin杉並 あとは、地元の承諾を待つのみのフェスタだったが・・・<地元の承諾
1995.03.31 残念ながら地元自治会の了承を得られなかった。
1995.06.11 「たましろの郷後援会の集い」 [5年目]
時期が空いたが、公式に「交渉未成立」が発表された。
   .12.03 中間報告会(ペアーレ新宿) 1月「ふれあいの里 どんぐり」オープン
1996.03.10 第2回たましろフェスタinいたばし フェスタ
   .06.02 「聴障者の福祉施策を考える会」&後援会報告集会 [6年目]
   .07.16 奥多摩連絡所開設 交渉打開に向け、現地事務所を設置。
現地事務所
   .09.11 南氷川自治会より「話し合い打切り」の通知 なぜ受け入れてもらえなかったのか
   .09.28 奥多摩一斉行動(2日間) 一斉行動
   .11.10 報告集会(雑司が谷社会教育会館)
   .11.20 町役場斡旋で自治会と話し合い 町役場斡旋
1997.02.11 第3回「たましろフェスタin城東」
1997.03.30 城地区における交渉断念。
補助金申請取り下げ。
設立委員会再編成
奥多摩町「城(じょう)」地区をあきらめることになった。断腸の思い。親達の思いやいかん。
設立委員会
1997.04.10 東京都福祉局宛てに怪文書 [7年目]<怪文書
   .05.31 たましろの郷後援会 報告集会 08.14都「財政健全化計画実施案」発表
財政健全化計画
   .10.08 朝倉まみ手話シャンソン・チャリティコンサート 08.27映画「どんぐりの家」完成
朝倉まみさん
   .12.04 拡大運営委員会(中間報告) 運営委員会
1998.01.17 第4回たましろフェスタinたちかわ
part1映画「どんぐりの家」上映会
「どんぐりの家」上映運動
   .01.25 たましろフェスタinたちかわ
part2舞台・野外イベント
大雪の直後で雪かきがたいへんだった。
02.16かたつむりショップ・オープン
   .05.10 たましろの郷後援会 報告集会 [8年目]
   .08.01 中間報告集会 今後は、奥多摩地区に拘らず広く候補地を探していくことが報告された。
   .12.23 青梅市長渕自治会 たましろの郷建設に同意 8年目にして、ようやく土地についての地元同意書をもらえた。(^O^)
「たましろの郷」名称問題>
1999.02.11 第5回たましろフェスタin城南
   .03.06 第28回耳の日記念文化祭でのアピール
   .06.20 たましろの郷後援会 報告集会
資金プロジェクト・スタート
[9年目]
資金プロジェクトに全通研東京支部から私が参加することになった。
資金プロジェクト

注;<キーワード>については、追々解説を書き加えていきたいと考えている。

この運動がいつから始まったのか、という点については、意見の分かれるところかもしれないが、この年表では、一応「法人設立準備会」ができた1991年をスタートとしている。
すでに9年目に突入なんだね。
昨年末の地元合意を受けて、いよいよ建設開始か?とみんな色めきだったが、現実には、その一段「上」の地方自治体つまり青梅市が「もう施設はいらん」とウンと言ってくれず(この背景には介護保険制度導入に伴う、保険料算定問題がある)、交渉はこのあと難航している模様だ。
「たましろの郷」建設運動の現状については、今後、別のページでご報告していきたい。

後援会資料から「たましろの郷」建設運動をふり返って見たが、この8年ホントいろんなことがあった。
僕は、このホームページを読んでくれた人が、「ろう重複」に関心を持ってくれ、支援の輪に加わってくれることを願って「せたつむり」を作っている。だから、読んでくれた人が「なんだこの運動は?」と疑問や不快感を持つようなことは書きたくない。
けれども、歴史をふり返っていると、その時々の悔しかった思いや「なんで分かってくれないのか」という社会に対する「不満」が湧きあがってくるのを押さえられない。
新しく「たましろの郷」建設運動を知ってくれた方々が、「よし私も」と思ってくださるような「冷静・客観的な」解説を書いていくよう心していきたい。