「労働と医学」(財)東京社会医学研究センター(1999.1.25 No60)より[下線は木下による]
「手話通訳者の仕事と職業病」
高田勢介(東京社会医学研究センター研究員)
手話通訳の仕事
(略)
手話通訳の現状
(略)
手話通訳の健康問題のはじまり
(略)
労災認定の取り組みと職業病問題のひろがり
(略)
事例としての手話通訳の職業病
東京社医研センターでは1990年以降、手話通訳の仕事のなかで健康を障害して受診する患者の相談に応じているが、1992年に徳島で開催された日本産業衛生学会総会で「手話通訳業務により発症した頚肩腕障害の5例」を発表、発症の状況として手話通訳業務の上肢負担による障害に先行して、神経、精神疲労の持続があり、業務時間に限定のない聴覚障害者のコミュニケーション援助にかかわる活動の従事が共通していると報告した。
その後、千葉県ではじめて手話通訳の職業病の労災認定請求を行った川根薫さんの事例については、発症原因となった手話通訳の業務負担の詳細を聞き取り、労基署に提出する自己意見書の作成を担当、障害内容としての精神、神経疲労の進行、症状の実態を明らかにすることができた。
川根さんの場合、手話通訳従事の経歴は極めて長く、技能、経験ともに抜群の通訳者として活動している中で発症したものであった。大学時代の1973年頃から千葉市の登録手話通訳者、1977年千葉県身体障害者福祉協会の専任手話通訳者、1988年から千葉県ろうあ団体連合会の手話通訳業務と福祉関連事業に従事し、1991年11月に頭肩腕障害により病気休業開始となった。
発症歴をたどると1977年12月手話通訳者として採用された時は、肩凝りなどの自覚症状はなく、1981年の国際障害者年をきっかけとする通訳事業の増加とともに頭痛、肩こりが業務集中時、長時間通訳作業後などに自覚、次第に左首から肩にかけてのこり、痛み、頭痛が持続するなど、日常の軽い運動、休息でも回復しないものとなった。1982年5月に始めての受診、頭痛薬を服用、その後1984年2月持続する肩こり、痛み、しびれで鎮痛の注射、その都度頭痛薬の服用でしのぎ、1984年11月過労状態、胃の痛みで受診するなど、断続・頻回の受診となったが、単なる症状への対処に終始した。1985年には、ずっと広い範囲の肩こり、頭痛、全身の節々の痛み、左腕を上げるのがつらく、手話の途中で異常な発汗、通訳業務の集中、繁忙時に症状が強く現れるようになった。
こうした中で、とくに目立つ症状として現れたのは、疲れているが眠れず、眠りが浅く、仕事のつづきの夢ばかり見る。手話がいつも頭の中をめぐっていて、手が勝手に動いていた。話しの要点がまとまらず、自分の思考と別に手だけが勝手にしゃべっているように感じることがある、というものであった。
1988年3月に整形外科受診、温熱療法。治療院ではり治療開始。1989年から1990年にかけて手のふるえ、異常な疲労感、ものを落とす、紙のような薄いものがつまみにくい、通訳終了後は、頭の中が真っ白になった感じ、たびたび持ち物を忘れたり、なくすというところまで症状が進行した。
そして、1991年9月4日芝病院に受診、1991年11月7日から1993年3月6日まで入院療養となった。
このように、きわめて回復困難な病状に陥ることになったのは、発症後10年に及ぶ経過の中で、業務の負担をとらえた診断、治療方針が明確にならないまま、極度の重症状態になるまで職業性の病気としての対応が行われなかったことによるものであった。
川根さんが従事した手話通訳業務の内容からすると、手話通訳の仕事の負担としてとらえなければならないこととしては、ただ単にろうあ者が発する手話による意思、感情を口話表現に翻訳するというのではなく、障害者の権利や社会参加に関連する福祉制度への理解の上にたって、個別のろうあ者の生活体験や情報量を把握し、意志をくみ取る高度の表現技能と専門性が求められる精神労働とみる必要がある。
こうした神経緊張・精神的作業負荷による、疲労進行の条件としては、
(1)知識・情報量・生活体験がまちまちなろうあ者が発する手話による意志表示を、正確に理解し、社会関係の中での不利な扱いを受けることのないように、多方面にわたる思考、判断をするための極めて大きな精神的緊張がある。
(2)個人ケースの通訳では、扱う件数ごとに内容の違いがあり、頭のきりかえ、精神的緊張による興奮状態が次々積み重なるという業務の負担がある。
(3)対話内容が正しく伝えられて、ろう者・健聴者双方の理解・到達点に誤りがないことを把握し、表現上の工夫、問題点の反復などが必要で、通常の会話、健聴者同士の意志疎通のためのやりとりとは異なった高度の理解力・集中力を要する精神作業となる。
(4)対話内容の深刻さ、利害関係の大きさからの長時間のやりとり、双方の問題理解力の低さから、精神・神経の疲労が甚だしいときは、終了後ひどい疲れで頭が空白になる感じがおきる。
(5)通訳内容に没頭し、興奮状態が続くと、頭の中で手話映像と音声語が行き交う感じになって、次にどうするのかという判断力、思考力が停滞、停止するような感覚が生じることがある。
(6)通訳したあと、今後の課題の整理が必要であっても次の通訳に追われて後回しになり、それが気がかりで精神的重圧感、焦燥感が持続する状況がある。
(7)疲労感の深まりとともに、通訳時の興奮状態の解消が困難となって、通訳終了後も手が動いていたり、通訳場面が頭から消えず、夢にまで出てくるという状態となる。
このような作業負荷によって生じる身体的疲労症状の特徴をあげると、
@手話・音声語の会話後、肩・背・腕・首筋が固くこわばり、いつも力を入れている感じ、目のしょぼつき感。
A2時間も続く講演などの通訳では、腕、手、肩、腰にかけての凝り、足のだるさ、とともに講演内容に追随していくための手話動作、音声言語のたどたどしさを生じる。
B電話通訳では、左肩で受話器をはさみ、両手で手話通訳するため、肩から首にかけての筋肉に異常に力が入り、凝りの持続。左側頭部の筋肉緊張からの頑固な頭痛がある。
これらは何れも、川根さんが経験した手話通訳業務による職業病の発症の条件と心身に現れる症状であるが、手話通訳という業務の負担からくる特徴的な障害といえるものであった。
外国語通訳との違い、系統の異なる言語による手話通訳の仕事の負担
手話通訳という言葉から通訳の意味を単純に考えた場合、音声によって表わす言語としての外国語の通訳と手話の通訳は同じとみる人がいるかも知れない。しかし、実際の手話通訳の仕事は、川根さんの事例をみてわかるように、ろうあ者の置かれた社会的条件にともなう不利な関係を生じさせないための判断や障害者の福祉にかかわる場面での専門的知識が、通訳業務に必然的に伴っているということがある。そして、そのことが業務負担からの過労状態をひき起こし、職業病発生の原因となっているといえる。
だが、それ以上に大きな問題は、音声による言語と手話、身振りをもって表現する言語は、全く系統のちがう「ことば」であって、情報の認識や意思の疎通のために使われる大脳の働きには、きわめて大きな隔たりがあり、手話言語と音声言語では、「ことば」を認識し表現するための脳機能の領域に大きな違いのあることが、失語症の研究からも解明されてきているという事実である。
外国語通訳と手話通訳とでは、仕事のために使われる脳神経の負担、表現方法としての手指、上肢、そして感情表現のための顔面、頭の動作にいたる広範囲な、精神、身体的負担による活動として、音声言語通訳とは全く異なった性質の作業となっていることが、手話通訳の職業病を理解する上でもっとも基本的なことと考えられる。
川根さんが経験したように、「手話終了後ひどい疲れで頭が空白になる感じがおきる。判断力、思考力が停滞、停止するような感覚が生じる。興奮状態が続くと、頭の中で手話映像と音声語が行き交う感じになる。疲労感の深まりとともに、通訳時の興奮状態の解消が困難となって、通訳終了後も手が動いていたり、通訳場面が頭から消えず、夢にまで出てくる」といった状態は、さきにあげた「手話通訳者の実態と健康調査」でも手話通訳者の特徴ある症状として明らかにされている。
口話を聞き取り手話に通訳するときには、「相手にわかる手話表現の工夫ができなくなり、音声に即した手話になる」77%、「頭の中が白くなり何も考えられなくなる」46%という訴えがあり、手話から口話への通訳では、「集中して見ているはずなのに何を見ていたのか手話の内容がわからなくなる」79%、「頭の中が白くなり何も考えられなくなる」46%という応答からは、業務による精神、神経の過労状態、脳機能の低下が手話通訳の職業病の本質となっていることが示されている。
手話通訳の職業病、健康対策の課題
(略)
以 上